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静岡連載

東海地震説40年 予知信仰の崩壊<上>

◆1976年、震撼させたニュース いまだ科学的根拠なく

 「東海地震説」が初めて報道されてから二十四日で四十年がたつ。その間、阪神大震災や東日本大震災、熊本地震が起きたが、甚大な被害を防ぐことはできなかった。地震は予知できると考えた学者の「予知信仰」は崩壊し、国も地震はどこでも起きるものと想定した対策にかじを切り始めた。

 「何を取材していたんだ!」。当時、静岡放送で防災担当の記者だった川端信正さん(78)は、デスクに怒鳴られた。神戸大の石橋克彦名誉教授が一九七六年に提唱した東海地震説は、通信社のスクープだった。

 「突然のビッグニュースに驚き、急いで後追い取材をした」と川端さん。後に新聞各紙も朝刊トップ級で報じ、全国を震撼(しんかん)させた。県民の衝撃はことさら大きかった。デパートに地震防災コーナーが特設され、地元スーパーでも缶詰や防災頭巾が飛ぶように売れた。

 敏感に反応したのは静岡県の山本敬三郎知事(当時)だ。「地震に備える法律が必要」とすぐに全国知事会に特別委員会をつくり、福田赳夫首相(当時)らにも新法制定を働きかけた。

■バラ色の時代

 地震学会はそのころ、「いつか予知は可能」とされるバラ色の時代だった。国家プロジェクトとして研究できることに学会は色めき立っていた。学者だけではない。国民の地震への不安と予知への期待に、政治家も便乗した。予知の科学的証明を待たずに七八年、予知を前提とする「大規模地震対策特別措置法(大震法)」が成立した。スクープのわずか二年後だった。

 八〇年には東海地震対策費として地震財政特別措置法(地震財特法)ができ、耐震工事などに膨大な国費が使われるようになった。それまで「地震対策」をうたった国家予算はなかった。

 川端さんは「大震法により防災が大きな課題として扱われるようになった」と話し、行政や国民の防災意識が向上したことに役立ったとみている。

 しかし、いまだに地震を予知する科学的根拠は見つかっていない。地震は予兆もなく突然起きたり、プレートの動きに予兆現象があっても地震が発生しないケースがあるためだ。

■大震法の呪縛

 東日本大震災の後、内閣府は「地震の予知は困難」とする報告書をまとめた。今年六月には、大震法を抜本的に見直すため、有識者会議を設置すると発表した。内閣府の担当者は「予知を前提に東海地震だけを対策することに矛盾が出てきた。『地震はどこでも起きるもの』として対応する必要がある」と話す。

 「大震法を廃止しないと、予知の呪縛から解かれない」。こう訴えるのは、東大大学院のロバート・ゲラー教授(地球惑星科学)。政府が毎年公表している確率論的地震動予測地図に、地震が実際に起きた地域を落とし込んだ独自の表「リアリティチェック」を作った。七九年以降に十人以上が死亡した大地震が、リスクが低いとされた地域で起きていたことが一目瞭然だ。「地震学者は研究予算欲しさに東海地震は危ないと言い続けた。この罪は重い」

(この連載は小沢慧一が担当します)

 <東海地震説> 駿河トラフを震源域に、マグニチュード8程度の地震が発生するとされる学説。「いつ起こってもおかしくない」と切迫性が指摘され、直前予知に注目が集まった。現在、政府は東海地震単独ではなく、東海、東南海、南海の三つの地震と連動する「南海トラフ巨大地震」を想定している。

 <大規模地震対策特別措置法> 東海地震対策のため1978年に成立。直前の予知が可能という前提のもと、気象庁が24時間態勢で異変を観測している。察知すると内閣総理大臣が警戒宣言を発令し、百貨店の営業停止や鉄道の運行停止など経済活動を制限して、地震に備える。

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