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静岡連載

戦後70年 源流 平和の俳句<6>

浜松・鈴木八郎さん(1912〜2002)

蚊帳吊れば蚊帳は懐かし風にゆれ

※吊=つ

◆家族と穏やかな日々

昭和20年代の鈴木八郎さん=遺族提供

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 心地よい夜風が蚊帳を揺らしている。私は穏やかな気持ちに包まれた。

 浜松の鈴木八郎(一九一二〜二〇〇二)が四八年ごろ詠んだ句。終戦時に旧ソ連の捕虜になり、中国東北部の間島(かんとう)から三年後に帰国。娘たちや妻と枕を並べて眠れたのが、たまらなくうれしかったはずだ。

 四三年に衛生兵として出征するまで、八郎もありふれた軍国青年だった。「日本は特別な国、天皇陛下は現人神(あらひとがみ)」と教わって育ち、部屋に掲げた書は「億兆同心」。国民が心を一つにすれば米国ごときに負けるはずがない、と固く信じた。

 ところが戦況は悪化。極寒の収容所ではネズミや木の根をかじるまで飢えさせられ、やせこけて帰還したら国は占領されていた。八郎は後年、句集の末文につづっている。

 「戦争に負けたことによってはじめて目が覚めた。自分が、日本がこんなにばかでは仕様がないと、心の底から思った」

 だから手当たり次第に本を読んだ。友人で浜松市北区在住の鈴木正之(76)は「彼は猛勉強を始めた」と振り返る。権力にだまされないため、教養と見識を磨きたかったに違いない。文芸誌を自ら発刊したり俳誌の編集人を務めたり。気に入った本や絵画の作者を訪ねて全国各地に出掛け、武者小路実篤や高浜虚子ら著名な文化人とも付き合った。

戦時中の空襲で家を失い、地面に掘った穴とトタン板を組み合わせた住宅で暮らす人たち。狭くても家族で寄り添って暮らした=1946年ごろ撮影(浜松復興記念館提供)

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 六〇年代に画商に転身し、戦前からの趣味だった句作に没頭。<沖縄の戦後終わらず草萌(も)えず>や<基地囲む人の鎖のなかの夏>など政治的な句、特に沖縄に米軍が駐屯していることを批判する作品を数多く残している。

 次女で磐田市に住む青野はる子(71)は、浜岡原発の運転が始まった七六年ごろ八郎が「事故が起きたら日本列島がひっくり返る」と憤っていたことも忘れられない。「福島の事故が起きてしまった今、父のあの言葉を話半分に聞いていた自分を恥じています」

 在日米軍基地と原発。八郎にしてみれば、「国を守る抑止力」や「未来のエネルギー」という政府の説明が、戦前の神風神話に重なったのかもしれない。

 はる子はこの九月、妹と国会前の安保法制反対デモに参加し、「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げた。「父が生きていたなら強行採決に憤慨したはず。微力でも声を上げないと」

 家族と穏やかに眠れる幸せ。それを妨げかねないものに八郎は抗った。思いは娘たちに受け継がれている。

(文中敬称略)

 

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