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静岡連載

戦後70年 源流 平和の俳句<1>

 敗戦直後、誰もが混乱の中で生きていた。そのころ県内で詠まれた俳句を紹介する。空襲の焼け跡、バラック小屋、戦災孤児…。そして戦争が終わった安心感。本紙がこの一年間掲載している「平和の俳句」の源流が、そこにある。

静岡・後藤きよさん(1915〜66)

さかしまに銀河流れよ国敗る

◆敗戦知らされ悔しく

後藤きよさん=片山七三子さん提供

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 神の国である日本が米国に負けた。それなら天の川だって逆さまに流れてしまえばいい。 

 敗戦の衝撃を天地がひっくり返るさまに例えたのは、静岡市西寺町(現在の葵区大鋸町)の後藤きよ(一九一五〜六六)だ。玉音放送を受けて詠んだ一句とみられる。

 「それくらい悔しかったのでしょう」。東京都府中市で暮らすめいの片山七三子(72)は「きよちゃんの句の中で一つだけ印象が違う」と考える。

 きよは、裕福な材木店の四女だった。戦時中に結核を患って神奈川の療養所に入り、作句を始めた。著名な俳人の伊藤柏翠(はくすい)や森田愛子らと出会い、高浜虚子に教えを受けたこともある。

 「かわいらしいもの、きれいなものが好きな心優しい人だった」と振り返るのは、十六歳下の妹で大阪府枚方市在住の池田八重子(84)。一年後に静岡に戻っても俳句を続け、<夕顔の花浮き沈み風荒き>や<寒桜活(い)け床の間の華やかに>といった作品が数多く残されている。「さかしまに」は、そんな花鳥風月を愛したきよにしては捨て鉢な句。

 進駐軍の米兵に恐怖を感じていたからだ。

 終戦の三週間後の中部日本新聞(中日新聞の前身)は「心の隙を見せるな」と読者に呼び掛けている。「進駐地及びその付近の婦女子は外国兵と接触しないやう…(中略)…なるべく地味な隙のない服装としっかりした行動を執(と)りなほ夜間の独り歩きは絶対やめること」

空襲で焼け野原になっていた終戦直後の静岡市内=静岡市葵区七間町町内会提供

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 米兵に乱暴されるくらいなら…。この時期、きよも八重子も母から手渡された青酸カリをポケットに忍ばせていたという。

 ただ、使うことはなかった。県史によると、静岡市内には四五年十一月六日に進駐軍の千四百人が到着。案外と紳士的で、女性や子どもにチョコレートをくれた。新聞の論調は「米兵は悪いことはしない」と融和を求める方向に変化した。

 きよは句作を続けた。空襲で焼け残った自宅の蔵に仲間を招き、句会を開いたこともあった。同郷の実業家と四十代半ばで結婚。五年後に胃がんで死去する直前まで、柔らかいけれど明確な筆致で俳句を詠み続けた。

 家族によって没後に刊行された句集にこんな句も記されている。

 <生きてゐることのたのしや銀河見る>

 「さかしまに」から七年たってからの作品。この間の心境の変化を表す作品は残されておらず、句集をひもとく者が思いを巡らすほかない。

(文中敬称略)

 

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