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静岡連載

泳心百年 浜名湾游泳協会のあゆみ<中>

◆王国静岡の誕生 近代泳法広め成果

日本に近代泳法を伝え広めた内田正練選手=浜松北高水泳部百年史より

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 浜松中学校(現浜松北高校)出身の内田正練(まさよし)は日本初の競泳の五輪選手として一九二〇(大正九)年、ベルギーで開かれたアントワープ五輪に二十二歳で出場した。前年にフィリピンであったアジアの大会では三種目で優勝。自信を持って臨んだ五輪だったが、世界の泳ぎを目の当たりして内田は驚嘆した。

 クロール。両手で交互に水をかく近代泳法を身につけた欧米の選手たちはグイグイと前に進んだ。対する内田は体を横向きにして片手で水をかく日本の古式泳法。競泳自由形の100メートル、400メートルともに大差をつけられ、予選敗退した。帰国後、内田は近代泳法の普及に力を尽くす。

 浜名湾游泳協会はアントワープ五輪の四年前に設立。発起人には内田の兄で、古式泳法の師範だった千尋も名を連ねていた。内田の地元の静岡県西部で、協会の指導者たちが、いち早く新しい泳法を若手に広めていったことは想像に難くない。十二年後のロサンゼルス五輪では、内田と同じ浜松中出身の宮崎康二が100メートル自由形で金メダルを手にしている。

 游泳協会を土台に、県西部からは二十人近い五輪スイマーが誕生。国内の水泳界をリードする地域として輝かしい時代が続いた。

アントワープ五輪で入場行進する日本選手たち=1920年

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 しかし、全国各地にスイミングクラブが整備されると五輪が遠くなった。九二年のバルセロナ五輪に雄踏町(現浜松市)出身の漢人(かんど)陽子が出場してから、五輪選手は二十年以上も現れていない。

 浜名湾游泳協会副会長の藤原靖久(70)は「屋内プールの整備が遅れたことも影響したのでは」と話す。早くから水泳が盛んで屋外プールが普及しており、新たに屋内プールを造る必要性が乏しかったのだ。

 二〇〇九年、「古橋広之進記念 浜松市総合水泳場」(トビオ)が同市西区にオープン。市営で初めてとなる五十メートルの屋内プールを備えた世界基準の施設は、協会が約三万人の署名を集めて市に要望し、七十億円かけて建設された。

 念願の活動拠点を得た協会は、冬場の長水路(五十メートル)の大会など、各種の大会をトビオで開き、県内の若手選手に力をつけさせようと歩んでいる。昨年の高校総体(インターハイ)では男子1500メートル自由形の戸崎祐(たすく)(磐田農業高)が優勝するなど、結果も表れ始めた。近代水泳の波に乗ったかつての勢いを、ひとかきずつ引き寄せる。

=文中敬称略

 

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