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静岡連載

戦後70年 天竜川決壊 くりぬかれた堤<下>

◆人災の教訓 後世に

70年前の天竜川堤防の決壊を刻んだ石碑を眺める磯部嵩夫さん=2日、浜松市南区金折町で(袴田貴資撮影)

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 チガヤの細い葉が茂る浜松市南区金折町の堤防に高さ一・五メートルの石碑がある。「天龍西派川●潰(けっかい)跡」。地元の郷土史家らが一九九五年に建立した。天竜川分流の西派川が終戦直後の四五年十月五日に氾濫したことを後世に伝えるためだ。

 近くに住む磯部嵩夫(たかお)(85)は長年、十人家族のうち四人の命を奪ったこの洪水を人前で語らなかった。

 流された家を再建するため浜松工業学校(現浜松工業高)を中退し、製材業を始めた。当時十六歳。「不幸を表に出して自慢話のように聞かれたくない」という少年の意地が、仕事が軌道に乗っても続いた。

 天竜川は戦後に西派川などの分流が整理され、かつて水害が多発した「暴れ天竜」の面影はない。水の怖さが子や孫の代に理解してもらえないことも、嵩夫は怖かった。

 それでも、仏前で手を合わせることは毎日欠かさない。濁流にのまれた母と幼い三人のきょうだい。「冷たい水の中で亡くなったのだから」と、命日には温かい白湯を供える。「流材にでもつかまらせて一緒に泳いでやれば、助けることができたのに」。悔しさが今も募る。

 そんな嵩夫に転機が訪れた。七十年の節目に講演をする。浜松市南区の南陽協働センターで三日に開幕する特別展「天竜川大洪水の記憶 昭和二十年十月災害の証言パネル展」の主要行事だ。戦争のため大事な堤防に穴を開けた愚かな歴史。特別展を企画した浜松河川国道事務所中ノ町出張所長の山路哲(44)の「記憶を風化させてはならない」という言葉に嵩夫はほだされた。

 「語ることが、亡くなった人たちの供養になれば」と嵩夫。「講演なんて、緊張でのどがカラカラになってしまうね」とはにかみながらも力を込める。「洪水の悲劇を防ぐために何をすべきか、もし起きた時にどう行動すべきか。今こそ考えてほしい」

=文中敬称略

(この連載は、久下悠一郎と清水俊郎が担当しました)

文中●は「理」の「里」が「夬」

 

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