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名前しんぶん

[古池しんぶん]牧之原台地 来年開墾150年

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◆サムライ魂 茶所築く

 県中西部に広がる一大製茶地帯・牧之原台地は、来年で開墾百五十周年。かつての不毛の地は、元サムライらによって切り開かれ、静岡の近代茶業の礎となった。「牧之原開拓史考」(大石貞男さん著)などの歴史書を手に開拓者ゆかりの地を訪ね、その歩みを振り返った。

◆勝海舟 開拓士族を援助

勝海舟像と握手する記者=島田市博物館で

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 まずはJR島田駅を起点に車で西へ五分ほど。江戸情緒を感じさせる木造家屋が並ぶ「大井川川越遺跡」の一角にある島田市博物館へ。博物館の脇に勝海舟(かつかいしゅう)(一八二三〜九九年)の像を見つけた。なぜ島田に勝海舟?

 明治維新で徳川家が駿府(すんぷ)(静岡)へ移されると、大勢の家臣がリストラの危機に直面。一部は未開の牧之原台地に目を向け就農を決意し、責任者的な立場の勝海舟らに申し出た。勝はその志に感激し、協力を約束。約千四百ヘクタールの土地が、士族に与えられた。

 そんなゆかりを示す像は、高さ二メートルほど。洋服姿で右手を差し出すような形をしており、握手ができる記念撮影のスポットだ。像は十二日に撤去され、蓬莱橋近くに移設されることになっている。

◆中條景昭 刀を鍬に替え尽力

牧之原台地を見守るように立つ中條景昭像=島田市阪本で

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 博物館を出て島田大橋を渡り、大井川を越えて牧之原台地に上がると、茶畑の中に武士像が立っていた。この人物は、中條景昭(ちゅうじょうかげあき)(一八二七〜九六年)だ。一八六九(明治二)年に始まった士族入植のリーダー。江戸生まれの剣豪で将軍徳川慶喜の警護役も務めたが刀を鍬(くわ)に持ち替え開拓に尽くした。

 中條は入植後、神奈川県令(知事)のポストを提示されるが「お茶の木のこやしになる」と断ったという逸話が残り、気骨の人だと感じさせる。像の表情もきりっとして、茶畑を見守るようだ。

◆今井信郎 地域振興に尽くした名士

今井信郎の屋敷跡に立つ顕彰碑=島田市阪本で

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 入植士族の中で有名なのが、今井信郎(いまいのぶお)(一八四一〜一九一八年)だろう。幕末の前半生を「坂本龍馬を斬った男」として、明治の後半生を地域振興に尽くした名士として生きた。中條像から南東へ一キロほどのところにある屋敷跡は、山林に囲まれてひっそりとした印象。今井は刺客を警戒していたとも伝わる。十五年前に地元住民が建てた顕彰碑の前に立ち、激動の生涯に思いを巡らせてみた。

 牧之原開拓を考える上で「もう一つのリストラ組」である川越人足の存在も見逃せない。明治になって大井川が船や橋で渡れるようになったことで失業した労働者。その世話を引き受けたのが、御前崎市出身の実業家、丸尾文六(まるおぶんろく)(一八三二〜九六年)だ。

 ゆかりの地は、菊川市、牧之原市の境に。お茶体験施設「グリンピア牧之原」近くにある丸尾原水神宮の中に、明治末期に建てられた報恩碑があった。特に看板もなく、石碑が丸尾をたたえているとは分かりづらい。歴史好きとして、先人たちの努力が忘れ去られつつあるのかと少し寂しく思った。

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 今回紹介したのは、開拓者のごく一部。延々と広がる茶畑を見つめながら、さまざまな人たちの努力の上に現代の茶業があると、あらためて感じた小旅行となった。

 古池康司(こいけ・こうじ) 名古屋市出身の39歳。島田市と川根本町を担当。小学生のころ、パソコンの某戦国ゲームにはまったことから、歴史好きになった。特に戦国時代と幕末、昭和初期に関心がある。日ごろの取材でも、郷土史を掘り下げることに喜びを感じている。

 

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