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[垣見しんぶん]垣見探し 滋賀の旅

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◆地名を発見!

「垣見」の地名を示す交差点の標識=滋賀県東近江市垣見町で

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 突然ですが、岐阜市出身の「垣見(かきみ)」と申します。岐阜でも静岡でも、生活していて同じ名字の人に会うことはない、ちょっと変わった名字。でも滋賀県には「垣見さん」が多いという。秋の一人旅を兼ねて自分のルーツを探しに湖国を訪ねてみた。

 琵琶湖の東側、滋賀県東近江市に垣見町があると聞き、十一月某日、電車に揺られて向かった。垣見町があるのはJR能登川駅前の住宅街だ。表札を見ながら周辺を歩いてみたが、垣見の表札は見つからない。交差点名だけがこの地が「垣見町」であることを示していた。

 図書館で資料の「滋賀県の地名」(平凡社)を開くと、一〇八五(応徳二)年の文書には、現在の垣見町一帯に荘園「垣見庄」があったという。他の資料によれば、垣見は「筧(かけい)」と書くこともあるという。筧は水を通す「とい」を意味する。筧が通っていたか、製造されていたことが由来として考えられるらしい。

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 では「垣見さん」はどこにいるのだろう−。さらに調べると、滋賀県ゆかりの戦国武将浅井長政に仕えた「垣見助左衛門」の館跡が長浜市にあることが分かった。電話帳で長浜市近辺に九世帯の垣見さんが住んでいることも分かり、一路、長浜市へ。

垣見氏の屋敷があったことを示す土塁跡=滋賀県長浜市宮司町で

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 館跡はJR長浜駅から東に二キロの長浜市宮司町にあった。滋賀県教育委員会が作成した「滋賀県中世城郭分布調査」によると、室町時代の一四三五年には東近江市の垣見町の場所から移り住んだ垣見氏が住んでいた記録がある。現在は立派な門構えの邸宅があり、今も助左衛門の子孫の方が住んでいるが、突然の訪問だったからか話を聞くことはできなかった。屋敷の西側に残る土塁の跡が、屋敷の歴史を物語っていた。

 子孫の故垣見邦男さんが一九九二年にまとめた資料や、長浜市市民協働部部次長で地域史研究者の太田浩司さんによると、助左衛門は一五四四(天文十三)年に長政の父の久政に仕官した。

◆浅井長政の忠臣も!!

 一五七〇年に長政が姉川の戦いで織田信長に敗れ、家臣が次々と織田方に寝返る中、家来五百人を連れて長政の元にはせ参じたという逸話が残る。長政が感謝して送った書状が長浜城歴史博物館に所蔵されている。

 助左衛門は長政とともに小谷城に籠城したが、信長の軍勢によって落城し、浅井氏は滅ぼされた。邦男さんの資料には「最後まで主家に忠を尽くした助左衛門の態度は後世武士の鑑(かがみ)として評価されている」とある。同じ名字の武将の生きざまを知り、自分まで立派になったような気分を味わった。

 自分の名字をたどる旅。自己満足と言われるかもしれませんが、意外と楽しいですよ。

 垣見窓佳(かきみ・まどか) 昭和六十三年生まれのぎりぎり二十代。名字だけでなく、名前の「窓佳」も珍しいと言われます。父親によると「生まれた病院からの窓の景色がきれいだったから」だそう。ちなみに窓からの景色は広大な田んぼでした。旅行好きで、今年の夏はエチオピアに行きました。次はどこに行こうかな。

 

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