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名前しんぶん

[飯田しんぶん]スッポン愛は浜名湖より深い

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◆養殖100年の技

生まれて数日のスッポンを見つめる服部征二社長=浜松市西区で

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 鋭い眼光ながらも、ブタ鼻が愛らしいスッポン。実はここ浜松は、全国でも有数の生産地だ。高級食材のため、正直遠い存在なのだが、いったいどのように育てられているのか。百年以上の歴史がある服部中村養鼈場(はっとりなかむらようべつじょう)(浜松市西区舞阪町舞阪)を訪ねた。

◆大きさごとに

 JR舞阪駅から北西へ約六百メートル。JR東海道新幹線の高架沿いに本社があり、その近くに養殖池が広がっている。数十カ所ある池を集めると、面積はナゴヤドーム三個分ほどにもなる。

 養殖池といっても、スッポンの大きさごとにすみ分けており、種類は産卵用の親を飼う「親池」のほか、ふ化してから一年の池、二年目の池、出荷サイズとなる三〜四年目の池の四つ。体の小さなスッポンが大きな個体に食べられるのを防いでいる。

 まずは親池に行ってみた。ここには、二十年以上になる体長五〇センチほどの雄雌のスッポンがすむ。長方形の池の一画に産卵用のなだらかな砂場を見て、ふと、海からはって出るウミガメの様子を思い浮かべた。「そりゃ同じカメだもんね…」と妙に納得。ここでは自然交配に任せているという。

生まれて数日のスッポン

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 産卵期は五月上旬〜八月上旬。一夏で十万個の卵が産み付けられ、毎朝、二時間ほどかけて砂場を掘り、取りこぼしのないよう気を付けながら、一円玉ぐらいの大きさの卵を取り出していく。

 続いて大きさ別の養殖池へ。どの池にも甲羅干し用の板が掛けられ、その上でスッポンが気持ち良さそうに寝そべる姿も。

産卵できるように、砂場のある親池=浜松市西区で

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 水面の上にネットが張られている池もあった。「十年ほど前から、ウやサギが大群で来るようになった。宅地化で餌や羽を休める場所がなくなったんだろうね」。服部征二社長(48)は顔をしかめる。そういえば、親池の砂場にもネットが張られていた。これも、タヌキやイタチから卵を守るためという。

◆こだわりの餌

 外敵に頭を悩ませながらも、露地養殖にこだわるのは、スッポンにとってストレスのない環境を優先するため。「自然の流れの中で育てている。管理するのは、魚中心の独自ブレンドした餌だけ」と服部社長。毎日、水温や水の色、餌の食べ具合などを観察している。

甲羅干し用の板がある養殖池=浜松市西区で

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 池の周りに伸びる雑草も、除草剤をまかずに地道に刈るのみ。浜名湖を代表するスッポンは、こうした社員のこだわりと愛情で育てられている。

◆江戸の魚商が創始者

 服部中村養鼈場はもとは江戸・深川で白魚やコイ、ウナギなどを長州毛利家に納める川魚商を営んでいた。スッポンの養殖は一八六六年、同社創始者の服部倉治郎の叔父が毛利藩邸内のカモ場で捕獲された一匹のスッポンを買い取り、飼育を試みたのがきっかけ。

 倉治郎もスッポンの飼育研究に熱心に取り組み、商用で関西方面に向かう際、温暖な気候の浜名湖地域に着目。地元・雄踏村(現・浜松市西区雄踏町)の有力者、中村正輔に協力をあおぎ、一九〇〇年に六・五ヘクタールの養殖池を造成し、養殖を始めた。ただ、当時はスッポンの市場規模がとても小さく、並行してウナギの本格養殖にも着手した。一四年に現在地に服部中村養鼈場を設立し、六八年にスッポン養殖に一本化した。

 現社長の服部征二さんは五代目。スッポンをだしに使った料理を自ら振る舞い、和食や中華料理だけでなく、イタリアンやフレンチの料理人への売り込みに力を入れる。「スッポンという食材を海外にも知ってもらうことで、いずれは海外へ輸出したい」と未来を描く。

 飯田樹与(いいだ・きよ) 愛知県出身。農漁業を担当しており、静岡の山の幸や海の幸を堪能する日々。この一年ほどで体の肉厚が気になりだしたが、懲りずに専門店でスッポンのコース料理を食べる算段を付けている。

 

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