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[河野しんぶん]金次郎愛 色あせず

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◆県内小学校 54%に像

わらじを差し出す場面を表現した像は、県内でも数少ない=掛川市横須賀小学校で

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 小学校の校庭などで見かける二宮金次郎さんの像。背格好はちょうど低学年の子と同じぐらい。まきを背負って本を読む姿を「負薪読書(ふしんどくしょ)像」と呼ぶのだという。最近は数が減っているとの話もある。全国の八百五十体余りを調べた掛川市の元小学校長、鈴木一政さん(75)に聞くと、金次郎像は実に奥が深かった。

 鈴木さんの調査によると、二〇一五年八月末時点で、小学校では掛川市の二十二校、袋井市の十二校、湖西市の六校すべてに像があった。静岡県内全体の設置率は54・1%(二百八十三校)。他団体の調査では、金次郎のふるさとである神奈川県や、東京二十三区はともに設置率が10%台だったといい、静岡県内は像が多いことが分かる。

 金次郎は、報徳思想で知られる江戸後期の農政家、二宮尊徳(一七八七〜一八五六年)の幼名。現在の神奈川県小田原市の農家に生まれて苦学し、困窮した農村や藩財政の再建などに尽力した。

 道徳と経済の融和を説いた報徳の教えは、尊徳から直接に指導を受けた岡田佐平治(一八一二〜七八年)らが現在の掛川市の人だったこともあり、遠州地方で隆盛を極めた。教えを広めるための全国拠点「大日本報徳社」が掛川市にあるのもそのためだ。

個人宅の庭に立てられた像=菊川市堀之内で

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 報徳の教えが現代にそぐわないとか、本を読みながら歩く姿が「歩きスマホ」を誘発するとか、最近は金次郎像を敬遠する向きもある。ただ、報徳社の講師でもある鈴木さんの実感では「像はむしろ増えている」。掛川市内の小中学校でも、この数年間に複数が新設された。

 鈴木さんによると、金次郎像の建立が広まったきっかけは、一九二八(昭和三)年に名古屋市で開かれた博覧会。「石屋が金次郎さんの像を出品したら人気になった。国内経済が落ち込み、倹約と力行(りっこう)(努力)を唱える報徳思想がマッチした」のだという。

大人になった二宮尊徳の像。まじめに働いた農民に鍬を贈り、表彰する珍しい姿だ。説明しているのは鈴木一政さん=掛川市掛川の大日本報徳社で

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 大正から昭和時代にかけて全国の小学校などに二万体が建立されたといわれる金次郎像は、その多くが寄付で建てられている。今なら一体二百万円ほどかかるが、報徳の教えを守る地域住民や有力者、教職員らが厳しい暮らしの中で費用を捻出した。銘板には「勤倹力行(きんけんりっこう)」「積小為大(せきしょういだい)」などと、報徳の教えを表す言葉が刻まれている。

 戦時中、銅製の像は金属供出の憂き目に遭った。今は台座のみ残る場所がある一方、代わりに陶製や石の像を立てた地域もある。「当時の人がいかに金次郎さんを大事にしていたか。貧しくても子どもには立派な人になってと願いを込めた」と思いをはせる鈴木さん。大切なのは像の意味を知ることだといい、「金次郎さんが大人になって何をしたか。貧しい農村を復興したという功績を知ってほしい」と語った。

 <二宮金次郎像> まきを背負って本を読む金次郎は11〜13歳時の姿とされ、高さは1メートルのものが多い。尺貫法から切り替わったメートル法普及のため、1メートルの目安を示したとされる。小中学校のほか、公民館や神社、街道沿い、個人宅などにある。わらじを差し出していたり、座って読書していたりする姿もある。磨崖仏(まがいぶつ)のように岩を掘った像もある。手にしている本は、中国の孔子の「礼記」を抜き書きした「大学」だという。

 河野貴子(こうの・たかこ) 掛川支局勤務のころ、報徳思想に感銘を受けた。金次郎さんの像を取材したいと思いつつ、未着手のまま転勤。三月から隣町の菊川・御前崎通信部勤務になったのを機にあらためて取材し、六年越しで宿題を仕上げられた気分です。

 

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