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静岡経済 特集

モノ語り スズキ・アルト 世界躍進の原点

 モノ語りは、歴史を重ねたロングセラーやヒット商品の秘話を発掘します。

◆工夫ぎっしり「芸術品」

スズキ歴史館にある初代アルト。鈴木修氏らの開発エピソードを紹介するアニメも上映されている=浜松市南区で

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 あるときはレジャーに、あるときは通勤に−。そんなキャッチフレーズとともに、スズキが一九七九(昭和五十四)年に売り出した軽自動車「アルト」。経営危機に直面しながら会社の存続をかけて開発した初代モデルは、使い勝手の良さと手頃な価格が受けて会社を救った。アルトで培った良品廉価な車づくりはインドに進出する際の強みにもなり、世界的な小型車メーカーへと成長する原動力となった。

■倒産寸前

 「会社が倒産するか、寸前の状態だった」。アルトの国内累計販売が五百万台に達した昨年末、鈴木修会長(87)は初代モデルの開発に取り組んだ約四十年前を振り返った。

 日本独自の規格の軽自動車は庶民の足として高度成長期に普及したものの、七〇年代に入ってオイルショックなどの影響で失速した。さらに排ガス規制が厳しくなった七五年、スズキは規制をクリアするエンジンの開発に失敗。トヨタ自工(現トヨタ自動車)からエンジンの供給を受けてしのいだが、販売が落ち込んで業績が悪化した。

 七八年に社長に就任した鈴木氏(当時四十八歳)が「こりゃ、やらなきゃなるまい」と決断したのが、同年に予定していたアルトの発売を一年遅らせることだった。画期的な商品にしようと、技術責任者の稲川誠一氏(後に会長、故人)らとともに練り直した。

■低価格と軽量化

 鈴木氏が掲げたのが「三十五万円の製造コストでもうけが出る車」だった。「灰皿を取れ」「スペアタイヤを取れ」さらには「エンジンを取ったらどうか」。鈴木氏が矢継ぎ早にハッパをかけ、稲川氏ら開発陣は当初難色を示しながら、最後は熱意に応えた。

 七九年に破格の四十七万円で売り出したアルトは、女性を中心に気軽に使いこなせる車として大ヒット。セカンドカー需要を取り込み、月間目標の五千台を上回る販売を続け、八五年には累計百万台に達した。

 成功を支えたのが、徹底した軽量化だった。一つの部品を一グラム軽くする工夫を積み重ねることで、数万点の部品で構成される車両の軽量化とコストダウンにつながり、燃費も良くなる。こうした車づくりがインドでも強みとなった。

■インドで強み

 「どこかの国で一番になりたい」と八二年に進出を決め、翌八三年からインド政府との合弁会社マルチ・ウドヨグ(現・子会社マルチ・スズキ)でアルトをベースにした小型車「マルチ800」の生産に乗り出した。小さな車を好む現地のニーズを捉えて販売を広げ、現行モデルの「アルト800」と「アルトK10」は指折りの人気車種となっている。

 「私たちは芸術品をつくっている」。鈴木氏は自社のものづくりをそう表現する。軽自動車の規格では全長三・四メートル以下、幅一・四八メートル以下などと車両の寸法が決まっている。そうした枠の中で性能やデザインの創意工夫を詰め込む軽を「俳句にも似た芸術品だ」と誇りを込めて語る。アルトは、世界に名が知られるメーカーに躍進したスズキの原点かもしれない。

(西山輝一)

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