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静岡経済 特集

時代を超えて ツナ缶の物語<番外編> 「商品届ける」一心に

 山本武次会長

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 二〇一一年三月十一日。宮城県気仙沼市の海岸近くにある「気仙沼ほてい」の工場を津波がのみ込んだ。ツナ缶などを作るラインや冷蔵設備が全壊。建物はがれきの山に埋もれた。

 「これからどうすれば良いのか」。震災後、現地に入った親会社ホテイフーズコーポレーション(静岡市清水区)の山本達也社長(48)は途方に暮れた。

 工場にいた約百六十人の従業員は高台に全員避難したが、その後に現場を離れた一人が津波の犠牲になっている。

    ◇

 ホテイフーズは一九三三(昭和八)年に創業し、三共商会の名称でツナやミカンの缶詰を作った。蒲原町(現・清水区)の工場に加えて気仙沼にも拠点を置いたのは五三年。当時からビンナガマグロやカツオ、サンマなどの水揚げが盛んだった。

 山本社長の父親の山本武次会長(86)は当時、東京の大学を卒業し、気仙沼に移って新しい工場の始動を手伝った。立地の良さを「近くの市場で魚を仕入れ、すぐに加工できた」と振り返る。

 当時、静岡県のメーカーはツナ缶を主に米国に輸出していたが、同社は欧州市場に着目した。欧州の好みに合わせて「ドレッシングツナ」を開発。ツナを油ではなくドレッシングに漬けた商品で、西ドイツなどに輸出して人気を広げた。

 山本会長は十年ほど気仙沼で暮らし、工場の運営を担った。六〇年には、チリ沖で発生した地震による津波が気仙沼にも押し寄せた。「工場にも一メートルほどの津波が来て、機械が海水をかぶった」という。

    ◇

 東日本大震災では工場がまるごとのみ込まれた。山本社長は「再建すべきか、迷いもあった」と語る。気仙沼市の要請もあり、二〇一一年九月に工場を部分改修して製氷を再開。漁船が水揚げする魚を冷やすためにも氷が必要だった。

 その年の十二月には缶詰とレトルト食品の生産を再び始めた。現在は、かさ上げした土地で新しい工場を建設中で、今年秋の完成を目指す。

 山本社長が言う。「再開を後押ししたのは、お客さんに商品を届けたいという従業員の強い気持ちだった」

 東北に生産拠点を置く静岡県のツナ缶メーカーは数社ある。同じように津波の被害を受けた。建て直して試運転を始めた工場がある一方、止まったままの拠点もある。

 ホテイフーズの気仙沼での生産量も、震災前の約三分の一に落ち込んでいる。「商売をする以上、苦しいことはある。従業員らと一心同体で頑張りたい」と語る山本会長。復興へと、一歩ずつ前に進む。

(西山輝一)

 

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