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静岡経済 特集

時代を超えて ツナ缶の物語<7> 輸出に逆風 各社苦境

輸出を控え、清水港の倉庫に積まれたツナ缶の箱(静岡缶詰協会提供)

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 一九七一(昭和四十六)年は、輸出で栄えた日本の缶詰メーカーにとって、大きな転換の年だった。

 米国にいったん輸出したツナ缶が、そのまま船に積まれて清水港に戻ってきた。「良い製品を作って出したのに…」。由比缶詰所に入社して六年目だった彦坂勝之は歯がゆい思いで、倉庫に山積みになっていく箱を見つめた。

 米国側が、日本製品の中に不良品が含まれていると訴えた「デコンポジション問題」。腐敗、変質を意味する英語で、米側はツナの色がおかしい、身にひび割れがあると言って輸入を拒んだ。日本側は「国の検査に合格している」と訴えたが、缶詰各社は多くの損害を抱えることになる。

 回収したツナ缶は再び検査して再輸出を試みたものの、廃棄するしかない製品も多かった。現在、七十四歳で社長の彦坂は「思うように生産できない時期が続いた。業界にとっては生きるか死ぬか、という問題になった」と振り返る。

 「静岡県缶詰史」によるとこの年、県内メーカーが米国に輸出するはずだった総量の50%に当たる百四十万箱が売れず、損害は九十億円に上った。

 さらに輸出への逆風となったのが同じ年のニクソン・ショック。財政が悪化していた米国が、金とドル紙幣の交換停止を発表し、世界経済が激震にあった。それまで「一ドル=三六〇円」に固定していた円・ドル相場は、その後、変動相場制に移ると円高が進んだ。

 県内の缶詰メーカーはツナ缶とともに冬場にミカン缶詰も作ったが、別の理由で新たな窮地に立たされた。当時の果実缶詰の多くが甘味料として使った人工甘味料チクロの使用を、国が六九(昭和四十四)年に禁止すると決めたのだ。

 大手の清水食品に在籍した村上英雄(87)は「商品を回収するため、車で取引先を駆け回った」と語る。在庫を処分し、廃業に追い込まれるメーカーもあった。

    ◇

 「缶詰産業は昔と今で、まるで様変わりした」。老舗の山梨罐詰(かんづめ)(静岡市清水区)会長の山梨恵一郎(91)はそう指摘する。

 国内のメーカーは戦前から戦後にかけて、生産するツナ缶の九割ほどを米国を中心とする海外に輸出してきた。一九六〇年代に輸出は全盛を誇り、静岡缶詰協会に加わるメーカーは四十九社にまで増えた。現在、加盟するメーカーは十八社。生産量のうち輸出の割合は2〜3%で、ほぼすべて国内向けに作っている。

 七〇年代から輸出が行き詰まる中、脱落する企業が相次いだ。「各社は生き残りをかけ、輸出から国内販売へと形態を変えてきた」と山梨。先がけてこの転換へと舵(かじ)を切ったのが、「シーチキン」でおなじみの老舗メーカーだった。

 =文中敬称略

 

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