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静岡経済 特集

時代を超えて ツナ缶の物語<3> 初の会社 清水に誕生

日本初のツナ缶メーカー「清水食品」の製品を運ぶトラック(鈴与グループ提供)

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 日本製のツナ缶は海外で売れる、ビジネスとして成り立つ−。一九二九(昭和四)年に試作品を米国に輸出し、手応えを感じた静岡県水産試験場の村上芳雄技師(故人)。このときから商売として成り立たせることを見すえ、「製品ノ輸出検査ハ厳重ニ徹底」することが大切だと試験場の報告書で説いた。

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 村上は技師の立場を超えて、缶詰会社を起業する人材を探した。知人を通じてたどり着いたのが、鈴与商店の店主だった六代鈴木与平(故人)。現在の鈴与グループの礎を築いた人物だ。二九年十二月、日本で最初のツナ缶メーカー「清水食品」が清水市(現・静岡市清水区)に誕生した。

 「当時は不況の真っただ中。産業を興して失業者を救う狙いもあった」。清水食品の元社長、阿部齊(ひとし)(68)は説明する。米国の株価大暴落に始まった世界恐慌を受け、清水でも失業者が増えていた。

 一方で、缶詰の輸出に有利な状況も生まれた。日本が三一(昭和六)年末に「金本位制」を離脱すると円相場が急落した。

 円安は輸出への追い風となる。ちょうど静岡ではビンナガマグロが豊漁で、原料も安い。「日本のツナ缶は品質も良かった。工場では手作業でビンナガの身を缶に詰めていたが、手先が器用なので均一な製品ができたという」。村上の長男の英雄(87)は語る。

昭和初期の一本釣りの様子。ビンナガはツナ缶の原料となる(鈴与グループ提供)

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 清水食品は、缶のふたを閉めながら中の空気を抜く最新のバキュームシーマー(真空巻き締め機)を採り入れ、ビンナガが水揚げされる夏場にツナ缶を作って米国などに輸出。静岡県はミカンの産地でもあり、冬にはミカンの缶詰を作って主に英国に輸出した。

 県内では清水や焼津を中心にメーカーが次々と誕生し、神奈川県や宮城県などでも製造が始まった。「静岡県缶詰史」によると三二(昭和七)年、国内では二十六万箱を作った。

 これは米国で作るツナ缶の生産量の約50%に相当する。安価な日本製はよく売れた。「ツナ缶産業が地域の雇用を増やし、清水は『缶詰のまち』となった」と阿部は指摘する。

 村上は清水食品の設立から三年目に、水産試験場を退職して同社に移った。阿部によると、村上は普段からハットをかぶって紳士然とした身なりだった。「温厚で心の広い人。他社への技術指導も惜しまなかった」と人がらを語る。

 その力添えを受けたのが、後藤缶詰所を立ち上げた初代後藤磯吉(故人)。三一(昭和六)年、清水食品に続く二番目のメーカーとして誕生した。県缶詰史によると、後藤は当時のある座談会で村上への謝意を述べている。「工場の設備指導、経営方法と、いろいろなことに親身も及ばない世話をしてくれましたことは、これは私の身の上において一日も忘れることの出来(でき)ない、感謝の念にたえないわけであります」

 後藤缶詰所は「はごろもフーズ」の前身。後に業界最大手へと成長を遂げる。

=文中敬称略

 

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