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静岡経済 特集

時代を超えて ツナ缶の物語<2> 学校で作り 米で完売

村上芳雄氏が中心となって試作したツナ缶。米国で好評を得た(村上英雄氏提供)

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 シーマー(巻き締め機)という機械がある。缶詰のふたと胴を圧迫して貼り合わせる装置だ。静岡市清水区のフェルケール博物館には、昭和中期にツナ缶作りの現場で使った手動のシーマーがある。歳月がたって所々さびつき、手が触れるレバーや足元のペダルのあたりが特に古びている。

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 缶詰が魚や肉などを鮮度良く保存できるのは、缶の内側の空気を抜き、真空にしたうえで、熱を加え殺菌するためだ。ツナ缶作りに挑んだ静岡県水産試験場(現・県水産技術研究所)の村上芳雄技師(故人)もこの作業に気を配った。

 米国への輸出を目指し、試作品を作ったのは一九二九(昭和四)年五月。村上は三十一歳。試験場は大正期にカツオの油漬け缶詰を試作したことがあった。村上も方法を参考にした。

 「ツナ缶に使うビンナガマグロの鮮度の見分け方、それに合う油選びなど、さまざまな試行錯誤があっただろう」。村上の長男の英雄(87)は語る。英雄も長らく缶詰の製造をなりわいとした。先達である父親の取り組みに思いをはせる。

 試験場には十分な設備がなく、焼津水産学校(現・焼津水産高校)の設備を借りた。春から夏ごろに静岡県の近海ではビンナガが一本釣りで捕れる。五月下旬の一週間、村上は生徒ら五十人ほどにも協力してもらい缶詰を作った。

焼津水産学校での作業風景。左側が缶のふたを取り付ける巻き締め機(村上英雄氏提供)

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 ビンナガの頭や内蔵を取って釜で蒸し煮をし、細かく切って缶詰に詰める。さらに綿の実で作った綿実油や塩を加える。難問は缶の中を真空にする脱気の作業だった。

 当時から、ふたを閉めると同時に空気を抜くバキュームシーマーという高機能の装置はあったが、学校にあるシーマーは、ふたを閉めることしかできない。「他ニ設備ナキ為メ止ムヲ得ズ」使ったと、村上は試験場の事業報告書に記している。

 考えついたのが、油を加熱する方法。「熱い油を注いでふたを閉めれば、缶の中が真空状態になる」と英雄は話す。熱い油で水蒸気が発生して缶の内側の酸素を追い出す。ふたを閉めた後、蒸気は冷えて液体となって体積が減り、缶の中は圧力が下がって真空に近づくという原理だ。村上らは油を八〇〜九〇度に加熱し、缶に注いですぐにふたを閉めた。百二十箱分(一箱は四十八缶入り)を完成させた。

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 七月にトラックで横浜に運び、品質検査をして「一等品」のお墨付きを得た。村上は「安全ニ安全ヲトリ」さらに一カ月間、バラックで保管して品質に問題がないことを確かめた。米国に輸出しても、通関の検査ではねられる心配が残るからだ。実際、村上の試作より前に国内の業者がツナ缶を作って輸出したが、返還されている。

 村上は八月末に輸出免状を得て、商社を通じてニューヨークに送った。缶詰には「FUJIMARU」のラベルを貼った。水産試験場の調査船「富士丸」から取ったブランド名だ。

 「静岡県缶詰史」(静岡缶詰協会編)によると、現地ではたちどころに売り切れた。一箱の製造にかかった費用は十二円五十銭。村上は一箱当たり「一円五十銭ノ利益ニテ好成績ヲ納メタリ」と報告書で手応えを示している。

 高品質のツナ缶を輸出すればビジネスとして成り立つ−。このときすでに本格的な事業化を見据えていた。

=文中敬称略

 

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