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静岡経済 インタビュー

トップは語る 県ボウリング場協会元会長 毎日企業・吉崎敬次社長

◆ボウリング人気、昔の話ですか 底打ち 注目度上昇中

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 一九七〇年代に国民的なレジャースポーツとして人気を博したボウリング。天候に左右されず、老若男女が楽しめるのが魅力だが、レジャーの多様化などでブーム最盛期に全国で約三千七百カ所あったボウリング場は八百カ所を切っている。少子高齢化が進み、経営環境が厳しさを増す中、どう生き残りを図ろうとしているのか。静岡県ボウリング場協会元会長で毎日企業の吉崎敬次社長(74)=浜松市東区=に聞いた。

 ボウリングの歴史は古く、古代エジプトに起源があったとされる。日本に伝わったのは江戸末期。長崎の外国人居留地に日本初とされるボウリング場ができた。新装開店の記事が一八六一年六月二十二日の現地の英字新聞に掲載されたことから、日本ボウリング場協会は六月二十二日を「ボウリングの日」と定めている。

■全盛期に1号店

 戦後の高度成長期に大衆レジャーとして浸透し、中山律子さん、須田開代子(かよこ)さんら女子プロボウラーの活躍から人気は加熱。ボウリング場も全国で開業ラッシュとなった。当社の一号店「浜松毎日ボウル」はブーム全盛期の一九七二(昭和四十七)年にオープンした。流行に敏感な若者らで連日満員で、二〜三時間待ちは当たり前。当時は家庭用の冷房も普及しておらず、夏場は涼を求めて訪れる人も多かった。

 しかし、ブームに陰りが見え始めると、供給過剰から経営難に陥るボウリング場が続出した。各社ともレーン数を減らし、空いたスペースに卓球台やビリヤード台、ゲーム機を入れるなど集客に工夫したが、廃業や業態転換に追い込まれたところが多かった。

■地域住民に呼び掛け

 七八年、アジア競技大会の正式種目に採用されると再び人気が持ち直してきた。コンピューターが自動計算するオートマチックスコアラーやノンガターレーンの普及もあり、利用者の裾野も次第に広がった。

 課題は固定客の獲得だった。当時、視察した米国のボウリング場は利用者の七〜八割が会員なのに対し、日本はビジターが大半。経営安定化には著名な経営学者ピーター・ドラッカーの言う「顧客の創造」が不可欠だと実感した。

 そこで着目したのが初心者の指導方法や会員育成に関する米国発のプログラム「LTB」(Learn to Bowl)だ。「浜松毎日ボウル」が二〇〇三年の静岡国体の会場として決定した九九年から導入を試み、地域住民らに積極的に利用を呼び掛けた。

■元気なシニア世代

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 近年は当社の利用者の七割近くを会員が占めている。五十を超す同好会が定期的に試合を行い、平日もにぎわっている。一過性のイベントに頼らず、従業員にインストラクター資格を取得させ、会員育成に地道に取り組んできた成果だ。

 ゴルフ、テニス、登山とレジャーは多様化し、かつてのブーム再来は期待できない。ただ一六年の「レジャー白書」(日本生産性本部)によると、ボウリングを楽しんだ人の数はスポーツ部門で四位。競技スポーツではトップで、その手軽さから人気は根強い。

 市場は低迷が続いたが、近年は底打ちしている。それを支えているのが元気なシニア世代だ。高齢社会を迎え、楽しみながら健康寿命を延ばせる生涯スポーツとして注目度は高まっている。

 シニア世代を対象にした当社の初心者教室も好評だ。心肺機能向上や筋力維持に効果があり、生活習慣病の運動療法としてもうってつけ。幅広い世代にその魅力を伝え、競技人口の拡大に努めていきたい。

(瀬戸勝之)

 よしざき・けいじ 立命館大理工学部卒業後、鉄鋼所勤務を経て、1971(昭和46)年に毎日観光(現毎日企業)を設立した。ボウリング場を浜松市内で2店舗、掛川市内で1店舗運営している。自らもボウリングが趣味で、アベレージは170前後。2005〜06年に静岡県ボウリング場協会会長。日本ボウリング場協会元常任理事、浜松商工会議所健康・医療・福祉部会長。愛知県豊川市出身。

 

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