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戦争遺品 資料館受け入れに苦慮

7月に寄贈された子供用の着物。戦車や軍用機の絵が描かれている=浜松市中区利町の浜松復興記念館で

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 各地の平和資料館に、戦争体験者の遺品の持ち込みが相次いでいる。本人に代わって、重い体験を後世に伝える役割を担うが、手狭な収蔵スペースや人手不足の問題から受け入れを拒まれることも。散逸を危ぶむ識者からは、国などによる公的な関与の強化を求める声が上がる。

 「捨てるには、忍びないから」。名古屋市緑区の柳下隆さん(78)はこの夏、中国から復員した父の故・徳次郎さんのヘルメットや出征旗、背嚢(はいのう)(リュック)など八点を「戦争と平和の資料館ピースあいち」(名古屋市名東区)に寄贈した。

 徳次郎さんは復員から五年後の一九五一(昭和二十六)年、戦地で患った病気の後遺症で四十七歳で亡くなった。小学六年だった隆さんは、出征中の話を詳しく聞いたことがない。遺品は自宅の押し入れで長く保管してきたが、改築を機に「後世に戦争を伝えるのに役立ててほしい」と寄贈を決めた。

 同館では四百二十五人から約二千六百点を受け入れた。寄贈者数は年間二十人ほどだが、今年は今月十日現在で三十二人と例年の倍以上のペース。「遺品を整理していたら出てきた」例が目立つという。来歴が分かる遺品に限って受け入れているが、高さ、幅とも二・五メートル、奥行き四メートルの保管スペースは遺品を入れたクリアケースでいっぱいだ。

寄贈された戦時中の品を整理するボランティアら=名古屋市名東区の戦争と平和の資料館ピースあいちで

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 滋賀県平和祈念館(同県東近江市)でもここ数年、寄贈が増えており、収蔵庫の九割が埋まった。調査員の日高昭子さん(36)は「スペースを拡張するか、受け入れる物を限定するしかない」。戦争体験者の聞き取りにも力を入れるが、調査員二人では「とても追いつかない」と漏らす。

 全国の追悼施設や資料館を調査した仏教大の原田敬一教授(日本近代史)は「戦争を直接知る人が減り、遺品を後世に残す意義は一層強まっている。ただ、日本では先の大戦をどう評価するか、国民的な合意が形成されておらず、公立の資料館に戦争資料収集の予算がつかない現状がある」と指摘する。

 太平洋戦争を中心に十万点近い写真資料を所有する編集プロダクション「文殊社」(東京都)代表の平塚柾緒(まさお)さん(79)は、米国の国立公文書館やアリゾナ記念館などを例に「収蔵スペースも人員も桁違い。散逸を防ぐため、国が遺品の受け皿づくりに本腰を入れるべきだ」と訴える。

◆来歴、説明難しい品も 浜松復興記念館

 浜松市中区利町の浜松復興記念館では、今年に入り、ほぼ月一件のペースで戦争体験者らの遺品や手記といった品々を受け入れている。七月に市内の高齢女性が寄せた子供用の着物は、戦車や軍用機が描かれた布で仕立てられ、国威発揚が日常的に行われていた当時の生活ぶりが垣間見える。

 「戦争の悲惨さを多くの人に知らせるためにも、現物の存在はありがたいこと」と鈴木勉館長(67)。近年は、家族が引っ越しや遺品整理に合わせて見つけたが、扱いに困って相談してくるケースが多いという。

 一九八八年開館の記念館は、市民らから寄せられた資料およそ千二百点を所蔵しリスト化しているが、すべてを展示スペースで公開できているわけではない。入手や保存の経緯が分からず「展示する際の詳しい説明が難しい物もある」という。受け入れの際は、処分や譲渡も含めて扱いを一任してもらうことを条件にしている。今後の運営について鈴木館長は「時代考証や価値判断ができる学芸員の力も借りながら、展示の形を整えたい」と話す。

(塚田真裕、久下悠一郎)

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