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慶喜の扁額、存在感増す 御前崎・池宮神社

◆市有形文化財 修復終え拝殿に

修復を終えて拝殿に戻される扁額。くすみが取れて当時の輝きを取り戻した=御前崎市佐倉の池宮神社で

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 江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜(一八三七〜一九一三年)が揮毫(きごう)した御前崎市佐倉の池宮神社の扁額(へんがく)が修復を終え、神社に戻った。百五十年分の汚れを取り去った扁額は存在感を増し、再び拝殿で参拝者を迎えている。

 扁額は明治元(一八六八)年五月三十日、この地を訪れた慶喜が揮毫し、奉納したと伝えられる。縦八十四センチ、横百八十一センチの額に「池宮神社」と社号が書かれ、慶喜の落款がある。飾り金具には徳川家の家紋「三つ葉葵(あおい)」が表現されている。昨年、専門家が慶喜の自筆と鑑定し、市の有形文化財(書跡)に指定された。

 慶喜は一八六七年に大政奉還し、出身地の水戸を経て翌年、駿府(すんぷ)に移った。慶喜側近の幕臣で、江戸城無血開城に携わった初代静岡県知事、関口隆吉の父隆船(たかふね)が池宮神社の宮司の息子だったことが神社との縁だという。

 隆吉は大政奉還後に慶喜を守り、後処理に尽力した。現宮司の佐倉東武(はるたけ)さん(72)は「慶喜が駿府で謹慎後、世話になった隆吉の故郷だからと、お参りに来たと伝わっている」と話す。

 扁額の修復は一月下旬から、文化財保存修復を手掛ける墨仁堂(静岡市葵区)で行われ、柔らかな筆でほこりを払ったり、剥がれそうな墨や金箔(きんぱく)を特殊な接着剤で止めたりした。四隅の留め金具の銅はさびを落とし、十八日に戻ってきた。

 氏子責任役員の清水英明さん(73)は、激動の時代を生きた人々と神社のつながりを示す扁額を前に「多くの県民にこうしたことを知ってもらえたら」と期待する。

 池宮神社には、江戸城開城の交渉に携わった勝海舟や山岡鉄舟らの書が残されており、佐倉宮司は、慶喜の参拝に合わせてこうした面々が神社に集い、書を残したのではと考えている。

 池宮神社は、境内の桜ケ池で九月に行われるお櫃(ひつ)納め(県無形民俗文化財)で知られる。

(河野貴子)

 

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