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井伊直滋の甲冑、初公開 東近江・永源寺「大変貴重」

展示されている直滋のかぶと=東近江市の永源寺で

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 彦根藩の二代当主井伊直孝の長男、直滋(なおしげ)(一六一二〜六一年)の甲冑(かっちゅう)一式が、東近江市の永源寺で見つかった。鑑定した彦根市の彦根城博物館の担当者はかぶとの装飾に着目。「井伊家の当主になっていない直滋のかぶとに立派な脇立てがあったことが確認され、大変貴重」と話す。永源寺で三十日まで初公開している。

 永源寺で蔵の整理をしていた四月、ひつの中に、かぶとや、すね当て、こて、鎖かたびらなど甲冑をつくる八点が見つかった。

 直滋は主に三代将軍徳川家光に仕え、家光の日光東照宮(栃木県)参拝の際の付き人を任せられるなど、深い関係を築いた。父親の直孝が江戸で多忙だったため、彦根の政務の一部を代行。当主にはならず、表向きは「病による蟄居(ちっきょ)」とされたが、同博物館の渡辺恒一学芸史料課長は「直孝との関係が良くなかった節もある」と話す。

木板に金箔貼りした角のような装飾=東近江市の永源寺で

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 晩年、居宅を東近江市の百済寺に移し、三年後に亡くなった。永源寺で古文書研究などを担当する森慈尋さん(48)によると、直滋が遺言で葬儀を永源寺の僧侶に託したことから寺との縁が生まれた。

 寺の古文書には一六九二年、彦根藩の江戸屋敷で見つかった直滋の甲冑が永源寺に移されたとの記録があるが、実物は確認されていなかった。森さんは「寺と直滋に深い関わりがあったことが改めて裏付けられた」と語る。

 博物館の渡辺課長は、かぶとの装飾に着目。見つかった直滋のかぶとは、左右の側面に角のような装飾を付けて使っていたとみられている。井伊家では、家臣向けの内規で当主だけが許されていた装飾で、直滋のかぶとは内規違反ということになる。

 渡辺課長は「内規は家臣団に向けたルールで絶対的なものではなかったとも考えられるし直滋が当主の直孝に代わり執務をこなしていた関係で着用できたこともありうる」と二つの可能性を提示する。

 傷みが激しいため、今回以降は、非公開とする方針という。入山料は高校生以上五百円、中学生以下無料。(問)永源寺=0748(27)0016

 (大橋貴史、小原健太)

 

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