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本丸と二の丸つなぐ土橋跡 高島・大溝城跡

確認された土橋の西端を画する石列(手前)。左後方は天守台で、本丸の南東隅に位置する=高島市で

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 戦国武将・織田信長が琵琶湖を掌握する拠点とした、高島市勝野の大溝城跡を発掘調査している同市教委は十日、新たに本丸と二の丸をつなぐ土橋跡が見つかったと発表した。土橋は江戸時代の絵図「大溝城下古図」に描かれているが、確認されたのは初めて。

 市教委は七月から本丸の東端と南側の二カ所で、計七六・五平方メートルを調査。南側で、南北方向に七メートル間隔で平行に延びる二列の石列が見つかった。その間は赤褐色土で整地されており、石列外側の内堀の堆積土と異なることから、橋の一部と確認された。橋は、本丸への出入り口、虎口の南側にあったことになる。

 西側の石列の石は長さ四十〜七十センチで、外側に面をそろえて出土した。石垣の前面に積む「築石(つきいし)」だったとみられる。近くには瓦を廃棄した瓦だまりが見つかり、安土城で出土したものと同じ文様の唐草文軒平瓦片が含まれていた。このため、石列は天正期の同城築城時のものと考えられるという。

 また東端部では、人為的に崩されたとみられる石垣の存在を確認。天正十(一五八二)年の本能寺の変の後、同城が廃城されたころに壊されたとみられる。見つかった位置から、本丸南東隅にある天守台東側の石垣の延長線上にあったことが分かり、こちらも絵図と照合した。

 同城跡は天守台しか現存しないが、国の重要文化的景観「大溝の水辺景観」の主要な構成要素とされ、市教委が二〇一五年度から本丸の発掘調査をしている。

 市教委は十三日午前十時から、現地説明会を開く。雨天決行。(問)市教委文化財課=0740(32)4467 

 (宮川弘)

 

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