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彦根で企画展、明治期の「製糸場」 井伊家が経営

彦根製糸場の古写真や古文書などが並ぶ会場=彦根城博物館で

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 江戸時代に政権中枢にいた彦根藩の井伊家。権力が徳川幕府から薩摩、長州を中心とした明治新政府へと移った後の足跡は、これまで紹介される機会が少なかった。彦根城博物館が10月23日まで開催している企画展「彦根製糸場(ば)−近代化の先駆け」は、初公開の史料を基に、明治期に井伊家が挑んだ最初で最後のビジネスを取り上げた。

 彦根製糸場は、一八七六(明治九)年、旧彦根藩士の二人が県に近代的な製糸工場を建設するよう嘆願したのが発端。明治時代に入って以後の彦根の衰退とともに、物産を作らなければ生計を維持しづらい状況を赤裸々につづった。生糸を試作し、市場価格も調査。必要経費を見積もるなど周到に準備した。

 翌年、西郷隆盛らによる西南戦争が勃発。旧彦根藩士が呼応する動きを見せる中、嘆願した二人の旧藩士も疑われ、政府は計画を一時凍結した。その後、県主導で、七八年に県内で初めて近代器械を使った製造工場の県営彦根製糸場を同市平田町に建設。従業員として、旧藩士や群馬県の富岡製糸場で技術を学んだ旧藩士の子女ら約百五十人が就業した。

彦根製糸場の登録商標=彦根城博物館で

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 当時、官営工場では業績が軌道に乗ると、民間に払い下げられるのが通例。彦根製糸場も、井伊家十四代直憲の弟、智二郎が県に四千円(現在の価値で四千八百万〜八千万円)で払い下げを求め、八六年には井伊家が経営者となった。

 製造された生糸は品質が良く、横浜の貿易会社「小野商店」を通じて海外にも輸出。業績が好調な中、近隣の製糸場から未熟練の工員を受け入れて教育するなど、工場は県内産業の近代化を進める上でも重要な役割を果たした。

 一九〇〇年には、繭の乾燥室から出火し、建物三棟を焼くなど、工場の主要部分を焼失。熟練工が女性従業員の積立貯金を私的流用していたことも発覚し、経営難から、二年後には工場を閉めた。失敗を機に井伊家の家訓に相当する「井伊家憲草案」には、「井伊家は全て商工業に直接関与せず」と書かれた。

 同博物館の学芸員、早川駿治さんは「ビジネス自体は失敗に終わったが、この工場で技術を習得した工員が現在まで続く繊維会社の創業者となり、国内の産業にも影響をもたらした」と評価。展示では、工場の写真や古文書など四十七点で当時の操業の様子や時代背景を紹介している。

 会期中無休。午前八時半〜午後五時。入館料は大人五百円、小中学生二百五十円。

 (大橋貴史)

県に彦根製糸場の建設を求める嘆願書=彦根城博物館で

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