トップ > 滋賀 > 9月9日の記事一覧 > 記事

ここから本文

滋賀

廃虚を地域学ぶ場に 長浜・木之本の「土倉鉱山跡」

土倉鉱山の選鉱場跡。朽ち果てた巨大なコンクリートが段々に並ぶ=長浜市木之本町で

写真

 一九六五(昭和四十)年まで約半世紀にわたり、銅が産出された長浜市木之本町金居原の「土倉鉱山」。岐阜県境に近い集落の山奥には、採掘した石をより分ける「選鉱場」の跡が今も残る。地元では、観光地化も視野に地域史を学べる場にしようと、活用に向けた動きがある。

 「近隣の大阪や京都に産業遺産はあまりない。土倉鉱山は規模が大きく、観光面の潜在能力は非常に高い」。先月二十五日、地元で開かれた講座。講師に招かれた総務省地域力創造アドバイザーで、産業遺産コーディネーターの前畑洋平さん(39)=神戸市=は力を込めた。廃虚を観光地に再生するなど各地で産業遺産の活用に関わっている。

 専門家も招いたこうした勉強会は、木之本まちづくりセンターと協力して初めて企画。当日は、予想を大幅に超える九十人が市内外から訪れ、ホームページの開設やバスツアーの開催、グッズ販売など先進地の事例を聞いた。

 選鉱場跡は、朽ち果てた巨大なコンクリートの塊が段状になってそびえ、独特の雰囲気を醸し出す。かつては砕いた鉱石を水に沈め、重さの差によってより分ける作業が行われていた。今残っているのは建物の基礎部分で、隣接する未舗装の市道から外観のみが見学可能。ネットなどで評判を知った廃虚愛好者らが訪れている。

 地元では、これまで案内看板を立て、有志五人が市道部分の木の伐採を始めるなど、地ならしを進めてきた。一方で、市道から無許可で選鉱場跡の中に立ち入り、写真撮影する愛好者も目立つ。

 当時、鉱山を経営し、今も土地を部分的に所有する「ニッチツ」(東京)の担当者はこうした行動に「崩落事故が起きたら大変だ」と苦言を呈する。立ち入りも視野に入れた活用については「思いは理解できるが、安全面などで課題が大きい」と慎重な姿勢。ハードルは高そうだ。

 地元は諦めていない。安全対策をした上での部分的な開放や、近くに高い階段を取り付けて全景が眺められるようにする案など、活用の青写真を描く。有志と行動を共にする市議の松本長治さん(51)は「鉱山跡は当時の人の営みを感じられる場所。少しずつ間口を広げ、教育的なツアーができないか」と提案する。

 これまで有志が個人単位で活動していた地元では、グループを組んで定期的に勉強会が開けないか検討している。目的は、歴史的価値の共有。その上で、行政を巻き込んで活用法を探っていきたい考えだ。

 長年、鉱山の歴史を調べてきた地元の山崎清志さん(82)は「閉山から半世紀が過ぎ、地域でも忘れ去られようとしているのが現状。それに歯止めをかけ、活用のきっかけをつかみたい」と話す。

◆理解と節度、大事

 銅鉱山跡を初めて訪れたのは昨年六月だった。心細くなるような山中の道を車で進んでいくと、突然、土地が開けて巨大なコンクリートが現れた。思わず声を上げた。

 映画「天空の城ラピュタ」のような雰囲気。日曜だったこともあってか、多くのコスプレ愛好者が撮影を楽しんでいた。立ち入り禁止の看板を気に留める様子もなく。

 活用には土地所有者の理解が不可欠。訪れる側の節度ある行動も大事だ。

 (渡辺大地)

 <土倉鉱山> 1907(明治40)年、「土倉」と呼ばれる地域で銅鉱石の露頭が見つかり、3年後に長野県の田中鉱業が採掘権を買収して開山した。34(昭和9)年に朝鮮鉱業開発、50年に日窒鉱業(現ニッチツ)に経営権が移った。周辺には一時、従業員や家族ら1500人が居住。社員寮や診療所、映画館、理髪店などが立ち並んだ。外国から安い銅が輸入されるようになり、65年に閉山した。

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索