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禅問答、これで教えた 永源寺で江戸時代の写本発見

江戸時代に書かれた妙心寺派の碧巌録抄の解読を進める森さん=東近江市永源寺高野町の永源寺で

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 東近江市永源寺高野町の臨済宗永源寺派大本山永源寺で、高僧が弟子に教えるときに使った注釈書「碧巌録抄(へきがんろくしょう)」全10巻の江戸時代の写本が新たに見つかった。時の権力者だった戦国武将の盛衰によって、後世の記録から消された僧の名前が確認できるなど、当時の仏教界の動静が分かる貴重な資料という。

 見つかったのは、江戸時代初期に、妙心寺派龍珠寺(名古屋市)の住職だった別峰紹印(べっぽうしょういん)禅師による写本。もともとは戦国時代の一五六五年に書かれ、同寺に伝わっていたものを一六一九年、別峰禅師が書き写した。

 寺を出た別峰禅師は、通りがかった永源寺が戦国時代の戦火で荒廃した姿を嘆き、再建に尽力、そのまま亡くなった。禅師の残した写本は遺品として長く永源寺宝蔵に保管。開山した寂室元光(じゃくしつげんこう)禅師の没後六百五十年を迎えた昨年からの古文書調査で、今年九月末に発見された。

 臨済宗では、中国・北宋時代の一一二五年に完成した禅問答集「碧巌録」を学ぶ。碧巌録抄は、漢文で書かれた碧巌録を分かりやすく弟子に伝えるため、先生役の高僧が事前にまとめた授業の要約で、各地の寺に持参して講義に使った。

 当時の話し言葉で書かれ、固有名詞は赤線を引いて強調。読点を打つなど工夫が見られ、有能な弟子は代々、師匠から碧巌録抄を引き継ぎ、高僧の言葉を引用しながら解釈を加えて作り直した。

 見つかった写本を調べる永源寺派教学部員、森慈尋拝(じじん)さん(47)が今回、特に注目するのは、これまで知られていない十六世紀前半の僧の名前が数多く確認できること。

 戦国時代、妙心寺派は、甲斐の武田家との関係が深く、織田信長と徳川家康の連合軍が武田軍に勝った一五七五年の長篠の戦いなどで織田の勢力が強まるにつれ、迫害を受けた。多くの寺が燃やされ、史料も消失した。

 森さんによると、今回の写本に記載されている僧の名前は、後の写本になく、抹消されている。森さんは「戦国武将と寺の関わりを知る上で、興味深い」と話す。

 (小原健太)

 

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