長野

<主な候補者はこんな人>杉尾秀哉さん(58)民新

2016年6月24日

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 二年前に亡くなった父の秀一郎さん=享年(88)=の墓前で、先日出馬を報告した。「選挙なんか絶対出るな」が口癖だったという。「おやじは、生きていたら猛反対しただろうな」

 長年ニュース番組の顔として活躍したキャスターにはこれまでも選挙に誘いはあった。しかし、全て断って報道の仕事を続けてきた。ただ、今回だけは安全保障関連法を巡る政権の強引さを見て、気持ちが変わった。「政治を変えるには、もはや自ら行動するしかないと考えた」と話す。半年間考え抜き、父の遺志に背いてでも出馬を決めた。

 北九州市で生まれ、船乗りだった秀一郎さんの転職で兵庫県に移り住んだ。小学生のころは病弱だった。吃音(きつおん)があり、人前で話すのに苦労したが、両親の温かい支えの元で、少しずつ克服した。「努力すればできないことはないと学んだ。だから、政治への挑戦でも困難に打ち勝ちたい」と力を込める。

 高校のとき、誘われて入った放送部で運命が変わった。コンテストに応募することになり、少年院を出て奉仕活動に取り組む少年のラジオドキュメンタリーを制作した。ジャーナリストに関心を持ったきっかけだった。「悪を暴き、社会で日の当たらない場所にいる人たちには光を当てたいと考えるようになった」

 東大ではアメフット部の主将として活躍した。一九八一年に念願かなってTBSの記者になり、ホテルニュージャパン火災や日航ジャンボ機墜落など事件や事故の現場で奮闘した。政治記者になってからは九二年の自民竹下派分裂などを取材した。そして、羽田孜元首相を担当したことで長野県と縁ができた。

 九三年にニュースキャスターに抜てきされた。同年のカンボジア総選挙では道端に地雷が埋まっている道を進み、危険地帯ぎりぎりまで入って民衆の声を聞いた。二〇〇四年の自衛隊イラク派遣の際はヘルメットをかぶり、防弾チョッキを着て砂漠を駆け抜け、自衛隊が駐留していたサマワから連日リポートした。

 「視聴者に真実を伝えたくて突き進んだけど、今思えば危ないこともあったな」と思い起こす。「事故の現場、政治の舞台。三十五年の経験を生かして、残された人生を人のために尽くしたい」と参院選への意気込みを語った。

 出馬を決めて半年。多忙で趣味の料理の腕を発揮する暇はない。今は七十七市町村をくまなく回る中で信州の隠れた名酒を見つけるのを楽しみにしている。「選挙が終わった後のことを考える余裕もないが、好きなゴルフを久々にやろうかな」とほほ笑んだ。

 (今井智文)

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 二十二日公示、七月十日投開票の参院選長野選挙区(改選数一)は現職一人と新人二人の三人が立候補した。主な候補者の横顔を届け出順に二回に分けて紹介する。

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