トップ > 長野 > 11月11日の記事一覧 > 記事

ここから本文

長野

有名すぎて幸村はなし 県歌の謎、遠藤学芸員語る

「信濃の国」の作詞過程を語る遠藤学芸員=松本市立博物館で

写真

 県歌「信濃の国」に著名な戦国武将・真田幸村が歌われないのは、子どもらに業績がよく知られていたから−。歌詞は小学生の教科書が基になったとの仮説を唱えている国重文・旧開智学校校舎(松本市開智)の遠藤正教学芸員(34)が十日、同市丸の内の市立博物館で講演し、歌詞の謎について見解を語った。

 「信濃の国」は、県尋常師範学校(現信州大教育学部)の教員だった浅井洌(一八四九〜一九三八年)が作詞し、一八九九(明治三十二)年に発表された。

 五十年前に県歌に制定され、広く県民に親しまれている。一方で、ゆかりの偉人を紹介する五番には幸村の名がなく、業績が幸村ほど知られてはいない武田信玄の子、仁科信盛が盛り込まれている謎がある。

 「信濃の国」が発表された当初は、小学校高等科一年(現在の小学五年)向けの唱歌だった。遠藤学芸員は、当時の地理歴史の教科の内容を子どもらに分かりやすく伝える狙いがあった、と指摘。「歌詞と当時の地理歴史の教科書十種類を照らし合わすと、多くが一致する」と説いた。

 五番に出てくる偉人四人のうち、平安武将の木曽義仲、江戸期の儒学者の太宰春台、幕末の思想家・佐久間象山については「教科書の独立した章で、詳しく書かれていた」と解説。

 残る仁科信盛は教科書に記述がほとんどないが、高遠城(伊那市)で織田信長が派遣した軍勢五万に囲まれ、三千の兵と立ち向かい討ち死にした生き様から、「洌さんの好み」で特に盛り込んだと指摘。幸村は教科書に詳しく書かれていたが、知名度が群を抜いているとして「学習目的の唱歌で歌う必要が無いと判断した」との推測を示した。

 また一番では、当時六つに分けられた県内区分は、平地部の広い順に松本、伊那、佐久、善光寺を取り上げたとし、三番で残りの木曽と諏訪を歌うことで、県内にくまなく触れる配慮だとした。

 一〜六番に自然や産業、名勝などのテーマ性があるのも浅井の特徴とした。のちに作詞を手掛けた七十以上の県内の小学校歌も同じ手法で、似通った歌詞も多いことから「姉妹歌と呼べる」と話した。

 市民ら約五十人が耳を傾けた。

 (川添智史)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索