トップ > 長野 > 9月13日の記事一覧 > 記事

ここから本文

長野

深志城の土塁か?土層発見 松本城発掘調査

深志城の土塁の可能性がある土層(左から中央下)と、後から突き固められた二の丸の平たん面の土層(右)=松本市の松本城公園で

写真

 国宝松本城(松本市丸の内)の南・西外堀復元事業に伴う二の丸西端の発掘調査で、城の土塁があったとされる場所の下部から、土塁状の土層が見つかった。三月に十五メートル南で行った調査でも同様の土層が見つかったことから南北につながっているとみられ、前身とされる深志城の土塁である可能性が高まった。

 今回の調査は六月に始めて南北六メートル、東西八・五メートルの範囲で実施。深さは最大二・四メートルまで発掘した。

 見つかった土塁状の土層は、底辺の長さ四メートル、高さ一・六メートル。西側が後に削られて全容は把握できないが、実際はもっと大きかったとみられる。川砂と粘土が混じった灰色の土を突き固めており、東端からは崩落を防ぐ役割があったと推測される直径数十センチの石が見つかった。

写真

 土塁状の土層から東の松本城二の丸地下の地層では、厚さ二十、三十センチの土層が一・七〜二メートルにわたって何層にも重なった構造が見つかった。

 市教委文化財課によると、土塁状の土層を土台にして突き固められ、土は火山灰由来の黄土色で土塁状の土層と異なる。出土した美濃焼の破片も、土塁状の土層は十六世紀半ば、二の丸の土層は十六世紀末の製造とみられることから、土塁状の土層は二の丸より前に造成された可能性が高いという。

 同課の担当者は「深志城は文献が乏しく謎が多い。今回の発見はルーツを探る足掛かりになる。二の丸の構造がわかったのも意義深い」とし、「出土品の分析などで築造時期の特定を図りたい」と話した。

 調査は本来、松本城の土塁の位置と規模を確かめる目的だったが、地層がほぼ削られており判明しなかった。市教委は十一月、三十メートル北の地点でも発掘調査する。

 市教委は十六日、発掘調査の現場説明会を開く。午後一時半〜三時。申し込み不要。雨天中止。(問)0263(85)7064(当日のみ)

 (川添智史)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索