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小谷と大町に同じ紋所 成政伝承解くカギ

(左)幔幕に描かれた「丸に橘」の寺紋=大町市の西正院大姥堂で (右)「丸に橘」の家紋が描かれたちょうちんを持つ松沢さん=大町市で

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 戦国時代に富山城主の佐々(さっさ)成政が、厳冬の北アルプスを越えて現在の大町市に来たとの伝承「さらさら越え」で、小谷村に土着した成政の従者の子孫とされる家の家紋と、成政が持参したと言われる大姥尊坐像(おおうばそんざぞう)(市有形文化財)を本尊とする市内の西正院大姥堂の寺紋が、同じ「丸に橘」であることが分かった。研究者は、大町と小谷でそれぞれ成政伝承が残っている理由を解くヒントになるのではとみている。

 「丸に橘」は、輪の中にタチバナの花をあしらった紋所。家紋が大姥堂の寺紋と同じなのは、成政の従者・松沢新助の子孫とされる小谷の松沢家。現在は、大町市大町に移住している本家筋の松沢一登さん(86)が昨年四月、大姥堂の行事で幔幕(まんまく)に描かれた寺紋を見て気付いた。

 松沢宅に伝わる古文書「来馬御名号略縁記(くるまごみょうごうりゃくえんき)」などによると、新助が小谷に土着したのは、大町で病気になった別の従者を富山に連れて帰る際に、その従者が小谷で亡くなったからだとされている。

 一方で、大町の大姥堂は、成政が大姥尊坐像を寄進して三十三年後の一六一七(元和三)年に建てられたと伝えられている。しかし、伝承やこれまでに見つかった史料などでは、松沢家と大姥堂の関わりなどは確認されていない。

 日本家紋研究会(事務局・埼玉県飯能市)の高沢等会長(58)は「寺紋は、創建者など寺と縁のある家の家紋が転用されることがあり、逆に寺紋が家紋に転用されるケースもある。松沢家と大姥堂との何らかの関わりが、小谷と大町に成政伝承が残る背景にあるのかもしれない」と話す。

 松沢さんは「わが家と大姥堂の紋所が一緒なのにはびっくりした。伝承が解明されていくきっかけになればいい」と期待している。

 (林啓太)

 

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