トップ > 長野 > 5月20日の記事一覧 > 記事

ここから本文

長野

戦前、喬木の高登がいた 御嶽海関の活躍で注目

企画展でにぎわった館内に飾られている高登の等身大パネル=喬木村歴史民俗資料館で

写真

 昨年11月の大相撲九州場所で県内出身力士として84年ぶりに三役昇進を果たした上松町出身の御嶽海関の活躍で、喬木村出身の戦前の力士、高登(たかのぼり)(本名・吉川渉)が脚光を浴びている。1908(明治41)年に生まれ、関脇まで上り詰めた高登は、地元に道場を開くなど信州の相撲界の盛り上げに貢献した。

 「地元でもあまり知られていないのに、遠方からも大勢見学に来た。これも御嶽海のおかげです」。喬木村歴史民俗資料館の市瀬辰春館長が笑顔を見せる。

◆昨年、企画展が好評

 資料館は昨年、企画展「喬木村出身の名力士高登」を開催し、等身大の写真パネルや現役時代の星取表などを展示した。七〜九月の予定だったが、御嶽海関が三役昇進する可能性が高まると、企画展の継続を望む声が寄せられるようになり、十一月まで延長した。

 資料館によると、高登は身長一八八センチで、現役時代の体重一二〇キロだった。右四つからの寄り切りや豪快な上手投げで勝利を重ねた。大関を二人破って優勝力士と同点で準優勝したこともあり、三三(昭和八)年に関脇に昇進した。

 青年時代に近所の子どもを肩車して天竜川を渡ってみせるなど、力の強さを示すエピソードが豊富に残る。十八歳の時には飯田市で開かれた自転車大会に出場し、途中でペダルが壊れるアクシデントに見舞われたが、自転車を担いで走って優勝。その怪力ぶりがうわさになり、高砂部屋にスカウトされたと伝わる。

 大関昇進も期待されたが、左膝を痛め、三十一歳で現役を退いた。大山親方となり大山部屋を開いた後は、相撲解説者を務め、後進の力士育成に尽くして大関松登(千葉県松戸市出身)らを育てた。

 県内では、地元後援会の支援で夏合宿用の稽古場「大山相撲錬成道場」が一九六〇年、駒ケ根市に完成。名古屋場所を終えた力士らが七月中旬〜八月に猛練習に励み、見物客でにぎわった。宮田村や飯島町でミニ巡業をして相撲人気を高めた。

◆道場完成を喜ぶ

高登(大山親方)直筆の句が書かれたノートを手に、思い出を語る石川さん=駒ケ根市で

写真

 自分の道場ができると知った高登は「手の舞、足の踏むところを知らず」と喜びを表現した。うれしさに舞い上がり、足も地につかないという意味だといい、当時を知る駒ケ根市の石川昭恵さんは「感極まった感じで喜んでいた」と振り返る。

 石川さんの父良東さんは、後援会の中心人物として道場立ち上げに携わった。高登やその弟子たちと家族ぐるみの付き合いを続けたが、高登は道場完成の二年後に心臓まひで他界した。石川さんは「これから地元の子どもたちをうんと強くしたいと話していたので、とても残念だった」と話す。

 砂つけて 男を磨 相撲かな

 石川さんの自宅には高登直筆の句が記されたノートが残る。「御嶽海のおかげで忘れられていた親方に光が当たった」と御嶽海関に感謝し「いつか横綱になってほしい」と期待を寄せる。

 (竹田弘毅)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索