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名投手しのび対戦 沢村栄治の明倫VS西村幸生の厚生

親善試合で投手戦を展開する厚生野球少年団の投手ら=伊勢市楠部町の倉田山公園野球場で

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 日本でプロ野球が始まった一九三〇〜四〇年代に活躍し、いずれも伊勢市出身の沢村栄治と西村幸生の故人二人を記念する少年野球の親善試合が二十五日、同市楠部町の倉田山公園野球場であった。沢村の生誕百年に当たった二〇一七年に関連事業が盛り上がったことを受け、親善試合を続けていくための事務局の体制も今年から整えた。

 対戦したのは明倫と厚生の両野球少年団。明倫は沢村の母校の明倫小学校(同市岡本)で、厚生は西村の出身校の厚生小学校(同市一志町)で練習している。

 沢村と西村という名投手二人の後輩に当たる小学生たちは、三回表まで両チームとも無得点の投手戦を展開した。四回裏に四球などで4得点した明倫が、五回までで5−2で勝った。

 明倫の二番手投手としてマウンドに立った六年の浜地龍大君(11)は「走者を出してからも打たせて取るピッチングができた」と笑顔を見せた。沢村栄治については「巨人で活躍したのに戦争で亡くなった人だと学校で習った。学校のすごい先輩で尊敬している」と話した。

 親善試合は、往年の名投手をしのぶため、両チームが毎年続けている。十一回目の今回から、明倫小と厚生小、両少年団の代表者四人で事務局を発足させた。明倫小の加藤真弓校長は「両投手のつながりを大事にして、学校を挙げて交流していきたい。親善試合もずっと続けていくつもりだ」と話す。

 明倫野球少年団の河村順監督(68)も「戦争で野球を続けられなかった沢村さんの思いを伝える試合。続けるために学校や地域の協力があるのはありがたい」と語った。

◆銅像に見守られ

球場前に並ぶ沢村栄治(手前)と西村幸生の銅像=伊勢市楠部町の倉田山公園野球場で

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 沢村栄治と西村幸生は、伊勢市が生んだ名投手として市民に親しまれ、倉田山公園野球場に二人の銅像が並んでいる。

 沢村は一九一七年生まれ。プロ野球が創設された三六年に東京巨人に入団した。エースとして活躍したが、徴兵されて中国などで戦った。三度目の徴兵で太平洋戦争末期の四四年十二月、フィリピンへ向かう途中に戦死した。

 戦後に野球殿堂入りし、巨人の背番号14は永久欠番に。シーズンで最も優秀な成績を収めたプロ投手に贈られる「沢村賞」は、沢村を顕彰して創られた。

 西村幸生は一九一〇年生まれ。三七〜三九年に大阪タイガース(現阪神)で活躍し、「初代巨人キラー」と呼ばれた。引退後の四四年に軍の召集を受け、フィリピンのルソン島で戦死している。戦後の七七年に野球殿堂入り。

 (大島康介)

 

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