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「奥の細道」出発地は!?

「むすびの地」のシンボルとなっている芭蕉像(ばしょうぞう)=岐阜県大垣(ぎふけんおおがき)市で

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 名所(めいしょ)を写真(しゃしん)に撮(と)ったり絵日記にまとめたりするのは、旅行(りょこう)の楽しみの一つです。江戸時代(えどじだい)、松尾芭蕉(まつおばしょう)という人は旅先(たびさき)で見た風景(ふうけい)や感(かん)じたことを俳句(はいく)にし、「奥(おく)の細道」という本にまとめました。出版(しゅっぱん)から313年がたっても多くの人に読まれていますが、今、旅立ちの地をめぐって論争(ろんそう)が起(お)きています。 (花井康子(はないみなこ))

〔1〕松尾芭蕉

 芭蕉(ばしょう)は三重県伊賀(みえけんいが)市で生まれ、五・七・五の言葉(ことば)で俳句(はいく)を詠(よ)む俳諧師(はいかいし)になりました。46歳(さい)のとき、昔(むかし)の和歌(わか)の題材(だいざい)となった東北(とうほく)から北陸(ほくりく)の名所(めいしょ)を回ろうと計画します。この旅(たび)で詠んだ俳句を載(の)せた紀行(きこう)文が「奥(おく)の細道」です。

 旧暦(きゅうれき)の1689(元禄(げんろく)2)年3月27日の早朝、深川(ふかがわ)(東京都江東区(とうきょうとこうとうく))を出発(しゅっぱつ)します。弟子(でし)の河合曽良(かわいそら)が同行しました。

 二人は深川から舟(ふね)に乗(の)り、隅田川(すみだがわ)を上ります。本によると「千住(せんじゅ)というところにて」舟を降(お)り、日光街道(にっこうかいどう)を歩き始(はじ)めますが…。北岸(きたぎし)なら足立(あだち)区の北千住、南岸なら荒川(あらかわ)区の南千住に上がったということになり、両(りょう)区はそれぞれ「うちが旅の始まりだ」と言い争(あらそ)っています。

 もともとは足立区が優勢(ゆうせい)でしたが、荒川区の荒川ふるさと文化館長(ぶんかかんちょう)野尻(のじり)かおるさん(56)は「本に出てくるような別(わか)れの場面(ばめん)を書くなら、江戸(えど)の境界(きょうかい)で両区を結(むす)ぶ江戸最古(さいこ)の千住大橋(おおはし)がぴったり。南側(がわ)から上がり、北へ橋を渡(わた)りながら、見送(みおく)りの弟子たちと別れたのでは」と考えています。地元の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)には、江戸時代(じだい)の芭蕉の句碑(くひ)も建(た)てられています。

 足立区で約(やく)15年間、研究(けんきゅう)を続(つづ)けるNPO法人(エヌピーオーほうじん)千住文化普及会理事長(ふきゅうかいりじちょう)の櫟原文夫(いちはらふみお)さん(64)は「『千住』という地名はほとんど足立区内にあり、千住=北千住のこと。素盞雄神社の句碑は北千住の碑を移(うつ)したんです」と反論(はんろん)します。

〔2〕北か南か

 多くのファンが仮説(かせつ)を立てていますが、旅立(たびだ)ちが北か南かを記した資料(しりょう)は見つかっておらず、本当のことは分かりません。芭蕉(ばしょう)に詳(くわ)しい名古屋(なごや)大大学院教授(だいがくいんきょうじゅ)の塩村耕(しおむらこう)さん(58)は「出発(しゅっぱつ)の地は深川(ふかがわ)とすべきだ」と言います。足立区(あだちく)の櫟原(いちはら)さんは「みんなで議論(ぎろん)することで研究(けんきゅう)が進(すす)み、魅力(みりょく)も伝(つた)わる。謎(なぞ)は芭蕉からのプレゼントのように感(かん)じます」と話します。

 スタート地点は意見(いけん)が分かれていますが、ゴールは岐阜県大垣(ぎふけんおおがき)市とされています。芭蕉は旅の前に知人に宛(あ)てた手紙の中で「美濃(みの)の国(岐阜)へ行く」と書いており、最初(さいしょ)から最終(さいしゅう)地点は大垣を計画していたと考えられています。

 春から秋にかけ約(やく)5カ月で2400キロを歩き、旧暦(きゅうれき)の8月21日に大垣市に到着(とうちゃく)し、旅を終(お)えました。

 それまでにも大垣に来たことがあり、親しい俳人(はいじん)にもてなされました。研究資料がたくさんある奥(おく)の細道むすびの地記念館(きねんかん)(大垣市)の学芸員(がくげいいん)山崎和真(やまざきかずま)さん(28)は「芭蕉にとって大垣は心安(こころやす)まる地。句会(くかい)を開(ひら)いて楽しみながらしばらく滞在(たいざい)し、疲(つか)れを癒(い)やしました」と教えてくれました。

 東京(とうきょう)から埼玉(さいたま)県草加(そうか)市や栃木(とちぎ)県日光(にっこう)市など北関東(かんとう)へ入り、日本三景(さんけい)の一つ松島(まつしま)(宮城(みやぎ)県)や福井(ふくい)県敦賀(つるが)市などを回った奥の細道の旅。旅中に芭蕉が詠(よ)んだ多くの句の中から、50句が本に載(の)りました。

〔3〕最終地点

 「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行かふ(ゆきこう)年も又旅人也(またたびびとなり)」という有名(ゆうめい)な文で始(はじ)まります。旅日記と、文学作品(さくひん)と両方(りょうほう)の性格(せいかく)を持(も)ち、フィクション(創作(そうさく))の部分(ぶぶん)もあります。本人は出版(しゅっぱん)するつもりはありませんでしたが、51歳(さい)で亡(な)くなった後に原稿(げんこう)を見た弟子(でし)たちが「すばらしい」と出版したのです。

 芭蕉(ばしょう)は文章(ぶんしょう)を何度(なんど)も練(ね)り直すことでも知られています。「奥(おく)の細道」も同じで、1996年に大阪(おおさか)で発見(はっけん)された自筆(じひつ)本には、紙を貼(は)って書き直したあとがたくさんあります。さらに直し、最終的(さいしゅうてき)な清書(せいしょ)本が作られました。友人が清書した本もあります。

 名古屋(なごや)大の塩村(しおむら)さんは「文学作品のような人生を送(おく)った人で、とても人気がありました。もらった手紙を大切に持っている人が多く、これまでに二百数十通も見つかっています」と話します。晩年(ばんねん)はファンからもらったお金で生活していたそうです。

 今、芭蕉が通った市区(く)町が協力(きょうりょく)し、交流(こうりゅう)を深(ふか)めています。その活動(かつどう)の一つ「奥の細道サミット」が来年10月、岐阜県大垣(ぎふけんおおがき)市で開(ひら)かれます。ゆかりの地の代表者(だいひょうしゃ)が集(あつ)まり、報告(ほうこく)会などを催(もよお)します。

 子どもが参加(さんか)できる俳句(はいく)の大会も各地(かくち)で開かれています。みなさんも一句詠(よ)んでみてはいかがですか。

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