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「守る」北陸中日・石川テレビ共同企画

【第2部 伝統】二俣いやさか踊り 800年 心一つに盆の夜

着物や浴衣などを着て踊る人たち=金沢市二俣町で(魚眼レンズ使用)

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 毎年八月十五日の夜、山あいの集落に哀愁を帯びた唄声が響く。金沢市二俣町に伝わる石川県無形民俗文化財「二俣いやさか踊り」。その起源は、八百年余り前の源平合戦にまでさかのぼるという。地域の人たちは「この踊りがあるから一つになるんや」と継承を続ける。(横井武昭)

 午後七時半、約三百人が本泉寺境内のやぐらを囲んだ。ほとんどが、源氏の家紋「笹りんどう」の入った着物や浴衣を着ている。「ハイヤッアーアイヤ、サカサイ」。唄声に合わせて「シャンシャン」と鈴の音が鳴り、男性は太刀踊りなどを勇壮に、女性は扇踊りなどを優雅に踊った。

 いやさか踊り保存会前会長の寺山建夫さん(70)は言う。「二俣の心の中を流れる唄ですよ」。休憩をはさんで約二時間、踊りは続いた。「汗でだくだく。でもこれがいいんです」。踊り手の一人は顔をほころばせた。

 一一八三(寿永二)年、倶利伽羅(くりから)峠の合戦で、源氏の武将木曽義仲が勝利し、二俣地区で暮らしていた村上源氏の子孫が喜んで踊り合った姿が、いやさか踊りの元になったと伝えられる。大正時代にいったん途絶えたが、一九五八年に地元の青年団が古老から聞き取るなどして復活させた。

 それから六十年、大人から子どもへ、先輩から後輩へ伝えられ、地元の医王山小中学校の文化祭で披露することが恒例となった。「唄が始まれば、自然と体が動きだす」という人もいる。

 次世代につないでいくことは、地域をつなぐことでもある。明治時代には三百世帯余りが住んでいたが、今では百十五世帯に減った。六十五歳以上が四割弱を占め、高齢化も進む。だからこそ、帰省する人を迎え、老いも若きも一緒に輪になる年に一度の大切な機会だ。

 「小さな集落に立派な踊りがあることが誇らしい。何とか残したい」と保存会の現会長、谷内(やち)寿男さん(69)。隣で踊った孫の新汰(あらた)さん(14)は「昔から伝わる踊りを実感した。僕らも小学校に入っていない子に教えたい」と話した。

石川テレビで今夕特集

 北陸中日新聞は石川テレビ放送と「守る」という言葉をもとに取材し、共同企画「守る」を隔週で、連載しています。石川テレビの特集は23日午後6時25分ごろからの「石川さんプライムニュース」で放送し、谷内寿男さんのインタビューを後日、金沢版で掲載します。

 

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