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2100年に1度の“珍客” 彗星絵 江戸期の帳簿に

【上】帳簿に残されたメシエ彗星の観測記録と絵【下】「メシエ彗星」の絵が残された江戸時代の帳簿を示す室石英明さん(左)と寺口学さん=いずれも能登町歴史民俗資料館で

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能登町 肉眼観測の記録

 能登町歴史民俗資料館(同町宇出津)所蔵の古文書に、江戸時代の地元の役人が二千百年に一度現れる「メシエ彗星(すいせい)」を観察して記した絵が残されていることが分かった。県柳田星の観察館「満天星」(同町上町)によると、この彗星の星図(せいず)は各地にあるが肉眼で見た様子を残したものは少なく、県内では初めての発見だという。(加藤豊大)

 メシエ彗星は日本では江戸時代後期の一七六九年六〜九月ごろに現れ、「稲星」や「帚星(ほうきぼし)」として各地に観測記録が残されている。県内では、加賀藩の資料である「泰雲公御年譜」と輪島市町野町の正願寺の古文書に記録がある。

 今回見つかったものは、江戸時代に当時の宇出津村(現能登町)の役人が火災や地震といった出来事や石高などをメモしていたと思われる帳簿に書かれていた。明和六(一七六九)年七月二十六日の日付と、「夜半より帚星出申候」(夜更けごろ彗星が現れた)との記載があり、彗星の尾を模した線が五本引かれた円の図形が添えられている。

 同町宇出津の酒垂神社の加藤三千雄宮司が十二日、発見した。満天星職員の室石英明さんは「尾が長いとされるメシエ彗星の特徴が捉えられている。肉眼では種類によって彗星の見え方は多様だが、この彗星の形を知る上で貴重な資料」と語る。町教委の寺口学学芸員は「当時彗星は不吉な前兆として、天災などと結び付けられることが多かった。そうした関心から、天文学者以外の町人も彗星の観測を記録したのだろう」と話した。

 

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