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珠洲焼 中世で現代的 専門家が壺2点を鑑定

黒地灰かぶり壺(右)と綾杉文壺の特徴について説明する国立歴史民俗博物館の吉岡康暢名誉教授=金沢市内で

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ハレの器か 高いデザイン性

 能登半島北部で生産され、中世の日本を代表する焼き物の一つ、珠洲焼。規格化され、大量生産されていたという珠洲焼の常識を覆す壺(つぼ)二点が見つかった。一点は窯変で表面の半分近くが灰をかぶっており、もう一点は杉の模様が大胆に施されている。専門家は「美を探求する意識がうかがえ、現代アートに近い。珠洲焼の独創性を見直す必要がある」と指摘する。(沢井秀和)

 一つは、高さ三四・五センチ、口径一三・〇センチ、胴径二六・七センチ。いぶし焼きにした際にかぶった白い灰と黒地のコントラストが際立つ。緩やかな肩のカーブも特徴。様式から室町時代中期の十五世紀前半に作られたとみられている。

 珠洲焼は一般的に灰色のものが多く、これまでのイメージを一新させている。

 もう一点は高さ三〇・八センチ、口径一四・二センチ、胴径二四・二センチ。へらでたたいてつくる杉の葉模様がある。アジアの樹木信仰と連なる珠洲焼のもうひとつのタイプだが、これほど整い、鋭い模様は珍しいという。口の周囲も波目模様が巡らしてあり、この例も少ない。鎌倉時代前期の十三世紀前半に作陶されたと考えられる。

 二点はともに、サイズや形などから骨壺として作られたと推定される。名古屋市の古美術商が入手したが、詳しい来歴は分かっていない。珠洲焼研究の第一人者で、国立歴史民俗博物館名誉教授の吉岡康暢さん(金沢市)が鑑定した。

 吉岡さんは「亡くなった身分の高い人が極楽往生するためハレの器として特別に注文したものだろう。デザイン性に優れており、中世の能登人のパワーを感じさせる。珠洲焼の新しい活用方法を考えてもよいのではないか」と話している。

 珠洲焼 平安時代末期から室町時代(12世紀中ごろ〜15世紀末)の約350年間、現在の珠洲市内を中心に焼かれた中世陶器。日本列島の4分の1にあたる東日本海域を市場にしていた。かめ、つぼ、すり鉢など日常用品として使われてきた。古代の須恵器を源流とし、瀬戸内と東海の両地方の作陶技術を融合した。荘園領主、寺社のネットワークが生産を支えたと考えられている。

 

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