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石垣の高さ3倍あった 玉泉院丸庭園調査 17世紀後半改修か

(上)一般公開され、興味深そうに石垣に見入る人たち(下)発掘調査で明らかになった作庭初期の「粗加工石積」と17世紀後半の「切石積」=いずれも金沢城公園玉泉院丸庭園で

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 県金沢城調査研究所が五月から始めた発掘調査で、金沢城公園玉泉院丸庭園の南東部にある石垣が、作庭当初の高さは現在の三倍、約七・五メートルだったことが判明した。当初は隙間の多い「粗加工(あらかこう)石積」で、十七世紀後半ごろ、見た目に美しい「切石積(きりいしづみ)」に積み直したことも判明した。二十五日には、調査の様子が市民に公開された。

 一六三四(寛永十一)年に加賀藩三代藩主前田利常の時代に作庭が始まり、五代綱紀や十三代斉泰ら歴代藩主が手を加え、現在に至っている。

 現在、見えている石垣は多角形に加工した石を隙間なく積んだ「切石積」で、「見せる石垣」と呼ばれる。江戸時代、改修の際に何度も盛り土をしており、石垣の一部が埋まっているため、これまで石垣の全容は分かっていなかった。

 今回、調査地点で、石垣の根元を掘り下げたところ、地下約三・八メートルまで続いていることが確認された。明治時代に石垣の上部を撤去していることも加味すると、もともとの石垣の高さは約七・五メートルに上る。

 基礎の三段分(約一・三メートル)は、加工の粗い石を積んだ「粗加工石積」で、作庭当初のものとみられる。これを積み直したのは十七世紀後半で、五代綱紀の時代とみられる。同時に、庭が改修されており、改修前は石垣のそばまで池が広がっていたことも分かった。

 ちなみに、金沢城は年代や場所によって石垣の積み方が異なり、「石垣の博物館」と呼ばれる。その変遷は七期に分類され、今回の粗加工石積は四期、切石積は五期に当たると推測される。

 県金沢城調査研究所は二〇一七年度から五カ年計画で切石積の石垣を調べている。冨田和気夫(わきお)担当課長は「別の石垣も基礎は積み方が違う可能性がある。石垣の変遷は金沢城の歴史的価値を考えていく上で重要だ」と話した。 (押川恵理子)

 

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