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江戸時代は「瀬戸物」だった? 土岐市美濃陶磁歴史館で特別展

かつては瀬戸焼として販売されていた美濃焼が、徐々に全国的に独自の焼き物として認知されていった歴史をたどる展示=土岐市泉町の市美濃陶磁歴史館で

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 江戸時代、美濃焼は「瀬戸物」だった?! 東濃の人にとっては仰天するような美濃焼の歴史を紹介した特別展が、土岐市泉町の土岐市美濃陶磁歴史館で開かれている。11月25日まで。

 美濃焼の生産量は現在、全国トップクラスにもかかわらず、有田焼(佐賀県)や九谷焼(石川県)などの他の生産地の焼き物の方が全国的な知名度が高いとされる。特別展では、なぜ美濃焼がそれほど知られていないのかを、変革期となる江戸後期から明治期に作られた陶磁器、関連文書約二百六十点で解明している。

 同館学芸員の中嶌茂さんによると、東濃は愛知県瀬戸市を中心とした生産地と地理的に近く、似たような製品を生産していたことがまず理由として挙げられるという。

 当時の販売ルートも要因のひとつ。瀬戸を領内としていた尾張藩には、焼き物の生産と販売を管理する蔵元制度があった。美濃の一部の窯業生産者は製品を瀬戸に持ち込み、尾張藩の蔵元制度のもとで焼き物を江戸まで卸した。そのため、美濃焼も尾張藩の瀬戸焼として販売されたという。

 美濃焼の窯元が自分たちの製品を広く売り始めたのが江戸末期の一八三五年。美濃焼だけを管理して卸す「美濃焼物取締所」を組織し、それ以降は全国的に美濃焼が瀬戸焼と区別されるようになっていった。

 特別展では、美濃で作られ江戸に運ばれたわんやとっくりを時代順に並べ、販売ルートの変化を紹介している。焼き物の裏に「大日本美濃国」と書かれた明治期のつぼなども並べられ、美濃焼という名称が定着した様子が見て取れる。

 中嶌さんは「瀬戸焼として売られていたころから、たくましく生産を続けた様子を見てほしい」と話す。

 十一月三日午後二時からは学芸員による展示解説がある。月曜定休。入館料は一般二百円、大学生百円、高校生以下無料。(問)同館=0572(55)1245

 (渡辺真由子)

 

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