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完全高架化、次代の宿題 岐阜の玄関口・JRと名鉄で明暗

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 平成も八年目となる一九九六年二月。「県の玄関口」とされるJR岐阜駅で、昭和の時代に計画された高架化事業がついに完成した。地上を走っていたJR東海道線と高山線が高架での運行になり、周辺の踏切が十二カ所で撤廃された。

 高架下で盛大に催された記念式典の高揚感を、県土木部の担当課長補佐として出席した沢田哲郎(71)は覚えている。事業の実務を担って奔走した沢田は感慨に浸りつつ、懸念をぬぐえないでいた。「周辺は渋滞がなくなり、再開発によって町が発展する。市民の念願の一つはかなったが…」

 頭にあったのは、同じく地元で高架化が望まれて久しいもう一つの玄関口、名鉄名古屋本線の新岐阜(現名鉄岐阜)駅のこと。JR岐阜駅の目と鼻の先にありながら、事業計画はほとんど進んでいなかった。

 市中心部の高架化は、昭和三十年代には地元から要望が上がっていた。市街地が線路で分断されるのを解消し、再開発の起爆剤になる、との期待からだ。国鉄(現JR)と名鉄の乗り入れによる「複合駅」案など、さまざまな議論が浮上しては、消えることになる。

 ようやく一九七八(昭和五十三)年、県の審議会が国鉄(現JR)と名鉄の双方の高架化に向けた基本構想を知事に答申。二年後、まず国鉄から都市計画決定がなされ、二十年近くの歳月を経て、総額七百億円超の一大事業は完了した。

 「駅舎に南北の自由通路ができ、通り抜けに入場券を買う必要がなくなった。駅前広場や高層ビルなど再開発も進んだ」と沢田。

 ただ、後回しになった名鉄の計画は、現在も実現していない。JRの高架化から二十二年。「それぞれの沿線の住民にとっては、明暗を分ける結果になってしまった」。見違える発展を遂げたJR岐阜駅前のデッキに立ち、つぶやいた。

 「地元の盛り上がりはすごかった。いよいよ今度は名鉄の番だ、と」。名鉄沿線の厚見地区で、自治会連合の役員を務める市議の大野一生(61)は振り返る。

 JRの高架化から約五年後の二〇〇一(平成十三)年、名鉄の沿線では住民向けに高架化事業の説明会が開かれた。翌年には、地元の岐阜市南部コミュニティセンターに、高架化後の完成予想模型が飾られた。

 「『開かずの踏切』を含む十三カ所の踏切では死亡事故が起きたり、救急車や消防車が足止めを食ったりすることがしばしば。住みよい町にするためにも高架化は急務だった」と大野。

名鉄名古屋本線に残る開かずの踏切。昨年には死亡事故も起きた=岐阜市上川手で

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 ところが、時代は潮目が変わる。バブル崩壊後の長引く景気の冷え込みから、県は経費削減などの行財政改革に乗り出した。大規模事業の着手は遠のき、大野は「高架化は事実上の凍結状態になった。地元でも『もう無理だろう』と、諦めムードだった」と話す。

 ようやく光が差したのが一二年。古田肇知事が県議会で「計画区間の半分をまず整備する」との方針を表明してからだ。その後、「全区間の一括施工」に変更されるなど曲折を経つつ、県と市、名鉄、国の四者の協議がほぼまとまった。現在は県が都市計画決定に向け準備を進めている。

 ただ、実現に向けて移転が必要になる二百棟の補償交渉が順調に進んだとしても、完工まではさらに十五年程度かかる見込みだ。

 昭和の時代から地元で悲願とされた名鉄の高架化事業は、平成の三十年間で着工に至らず、次の時代に持ち越されることになる。

 大野は言う。「完成を待ち望んできた住民は、どんどん高齢化している。行政は一日も早い実現に努力してほしい」  =敬称略

 (小倉貞俊)

 <名鉄名古屋本線高架化事業> 名鉄岐阜−岐南間2・9キロの大半を高架化し、加納、茶所両駅を統合して間に新駅を設ける。事業主体の県が都市計画決定の策定準備を進めており、国から事業認可を受けると、民有地の取得が必要になる。事業費300億円の負担割合は国が51%、名鉄が7%で、その残りを県と市で折半する。

 

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