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「凌霜隊」語り継ぐ 150年前、幕府側についた郡上藩士

凌霜隊慰霊碑前で隊員の冥福を祈る参列者ら=郡上市八幡町で

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 百五十年前の戊辰戦争で幕府側についた郡上藩士が結成した凌霜(りょうそう)隊。わずか四十五人の部隊は新政府軍に屈して歴史の表舞台から消えたが、彼らの不屈の精神は昭和の混乱期を生きた郡上の人々により語り継がれてきた。平和や豊かさが当たり前になり、耐え忍ぶことへの共感が広がりにくい今、その歴史の継承が課題になっている。

■78回目の慰霊祭

 「郷土のために身をささげ、苦難に立ち向かった先人に感謝したい」。郡上市八幡町城山の凌霜隊慰霊碑前で二十八日に開かれた七十八回目の慰霊祭。凌霜隊顕彰会長の森冨二雄(ふにお)さん(90)は、青春時代の記憶とともに隊員に思いを寄せた。

 明治維新で政権を取った薩長中心の新政府からすれば凌霜隊は反政府組織で、大正時代まで世間から冷遇された。再評価は昭和に入ってから。戦争のきなくささが漂う中、凌霜の精神は「興亜凌霜魂」として政治的に拡大解釈され、満州開拓者らを奮い立たせた。

 一九三四(昭和九)年、旧郡上郡の青年団が凌霜塾を設立。十代の森さんも塾生となり、困窮する地元で畜産などの生産活動に励み、戦争末期の数カ月間、農業支援で満州に赴いた。当時の森さんを突き動かしたのは「恩に報いて郷土に尽くすのが人の道」とする純粋な気持ちだった。

 敗戦で国の過ちが明らかになっても、その忍耐の精神は森さんを支え続け、戦後の苦難を生き抜く糧となった。その意味を毎年の慰霊祭で皆と確かめ合ってきたが、参列者は年を追うごとに減っている。「いまの平穏は昔の人の頑張りがあればこそ。その歴史を忘れないでほしい」と願う。

資金を募って再版を目指す凌霜隊の本

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■副隊長の新史料

 明治に戦犯扱いを受けたため、戊辰戦争後の隊員の様子を伝える史料は少ない。だが、その姿に光を当てる文書が最近見つかった。当時五十二歳で副隊長として実質的に隊を率いた坂田林左衛門に関する史料で、長野県軽井沢町の子孫が家系を調べる中で発見した。

 「脱走」の罪を問われて禁錮となった隊員らは、徳川の恩に報いようとした行動に対する藩の処遇に憤った。史料はこのときに林左衛門が若い隊員を諭した言葉を伝えている。「総テヲ『一ニ帰シテ』怨マズ、憤ラズ、己レノ分ヲ守ルコソ真ノ武士デアル」と。

 凌霜隊の著書がある地域史家・高橋教雄さん(73)=同市八幡町=は「自分の生き方に責任を持って貫こうとした気持ちが表れている」と、凌霜精神のコアに迫る史実の一つとみている。

■再版を目指して

 郡上八幡産業振興公社が、凌霜隊の歴史本を再版しようと協力金を募っている。高橋さんが二〇一五年に自費出版した「歴史探訪 郡上 凌霜隊」で、幕末期の郡上藩の状況や凌霜隊の戦記などを詳しく紹介。再版では林左衛門の新史料を基に加筆される。企画した公社職員の小木曽匡さん(34)は「信念を持って行動した隊員らの姿から学ぶため、後世に残すべき本」と強調する。

 協力金は一口三千円からで、目標額は九月二十八日までに八十万円。同市の郡上八幡旧庁舎記念館と郡上八幡城で直接受け付けるほか、インターネットのクラウドファンディングでも募る。年内の再版を目指し、出資者には本や特製グッズを提供。小木曽さんは「凌霜隊の実像を多くの人に伝えたい」と話している。(問)同公社=0575(67)1819

 (林勝)

 <凌霜隊> 霜を凌(しの)いで咲くキクにたとえ、不撓(ふとう)不屈の精神を貫く意味が名に込められている。新政府軍との戦いで45人中8人が戦死・行方不明になった。郡上市は教育目標に「凌霜の心」を掲げている。

 

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