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<レジェンドを訪ねて 夢のベストナイン> (3)浜中祥和さん

送球の構えをとる浜中さん=兵庫県尼崎市で

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 本紙の「福井県・夢の高校野球ベストナイン」でベスト遊撃手に選ばれた元若狭の浜中祥和さん(80)=兵庫県尼崎市。小柄ながら俊足、巧打を誇った名選手は高校時代、二十四時間、野球のための努力を惜しまなかった。

 (聞き手・鈴木啓太)

 −ベストナイン入りした。

 皆さん、忘れているんじゃないかと思っていたのでびっくりした。でも、言われてみると遊撃手はわしやな(笑)。甲子園に出たのは一九五五年の選抜大会と全国選手権大会。あのころは若狭高フィーバーが起きていた。二年秋に新チームになってから負けたのは春、夏の甲子園と国体決勝だけ。練習試合を含め、ほかは全部勝っていた。

 −どの点が評価されたと思うか。

 足が速かったところかな。高校の時は身長一五五センチくらいでチームで一番小さかった。当時、土ではなく砂の球場が多く、走りにくい中、動きまくっていた。

 −高校時代の野球生活は。

 小柄だから一生懸命やるしかない。監督は「朝から晩まで、すべて野球なんだ。ご飯を食べるのも、トイレも寝るのも風呂も、全部野球だと思ってやれ」と。そう言われて、それを守ってきた。ボール、バットから手を離したことがないというくらい、一日も休まず続けることが、人よりも前に出ることにつながった。

 −高三の時は一番打者。

 どうにかして一塁に出る。そのためにボールを見極めないといけない。塁に出たら盗塁して得点に結び付ける。僕だけがそれをできると思っていた。

 −当時の浜中さんは、今の高校球児に混ざっても活躍できると思うか。

 できるでしょう。自分のプレーは雑とか、手抜きとか、凡ミスとかが本当に少なかった。死に物狂いだった。

 −これまで高校野球を見てきて、すごいと思った選手は。

 特に遊撃手のプレーを見てきたが、いなかった。だから、自分で育てようと思い、福井の少年野球チームなどで指導をしたこともあった。プロを辞めて三年ほど前まで続けた。

 −県内の球児たちへメッセージを。

 時代は僕らの時と今では違うが、ボールを持って、バットを振って、走ることは同じ。野球がどんどん進歩していることは確か。それに遅れないように一生懸命、野球を勉強してプレーしなければいけない。それには、野球に取り組む姿勢を二十四時間、常に自分の中で考えてほしい。強い福井を自らつくるんだという気持ちを忘れないでほしい。

 <はまなか・よしかず> 1938(昭和13)年、兵庫県尼崎市生まれ。若狭高で55年春の甲子園で8強入り。立教大に進み、2学年上の長嶋茂雄さんとプレーした。60年に大洋に入団し、日本シリーズで優勝。その後、中日に入り、68年に引退した。引退後は、尼崎市内で喫茶店や居酒屋を経営した。

 

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