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<レジェンドを訪ねて 夢のベストナイン> (1)川藤幸三さん

高校時代の厳しい練習やお世話になった人への思いを話す川藤さん=兵庫県西宮市で

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 本紙が選定した「福井県・夢の高校野球ベストナイン」に高校時代を振り返ってもらう「レジェンドを訪ねて」。初回は、ベスト左翼手に選ばれた若狭高出身の川藤幸三さん(68)。阪神でも「代打の切り札」として活躍。テレビでもおなじみだ。球児時代の記憶をたどってもらった。

 −ベストナインに選ばれた感想は。

 十九年間のプロ野球生活でも表彰されたことがないので、なぜ選ばれたのか、驚いている。

 −野球を始めたのは。

 地元の美浜町久々子の先輩でドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった山口良治さんに誘われたのがきっかけ。小六の夏休み、近所の畑を荒らして遊んでいると中学で野球部だった山口さんに「野球部の球拾いをしろ」と。手伝えば、一杯五円のかき氷をあげるよと。当時は小遣いがもらえなかったから釣られてしまった。その縁もあって、中学で野球部に入った。

 −どんな高校球児だったのか。

 一年と二年はやんちゃだった。先輩が引退し、領家亮一監督に「エースで四番をやれ」と言われて初めて「甲子園に出ないと」と覚悟した。性格も行動も変えようと、野球部の練習でお世話になった仏国寺(小浜市)の故・原田湛玄(たんげん)住職へ会いに行った。

 毎朝五時に来るよう言われ、雨の日も雪の日も元日以外は通った。四時起きで走って行くんだ。到着すると十五分の座禅を二回。一回目は無言で座り続け、二回目は住職から教えをもらう。それから学校に行く生活を一年続けた。

 −教えられたことは。

 通ってから二週間、住職は何も言わなかった。座禅が終わると「さあ学校へ行け」と。「なにくそ」と腹が立った。そんな時、和尚から「何を考えながら座禅しているのか」と声を掛けられた。「何も教えてくれない、おかしい」と答えると「よし」と言って人間の覚悟について教えてくれた。二、三日なら人間は苦しいことにも耐えられるけど長くは続かないと。僕が本当に甲子園に行きたいのか、その覚悟を二週間で試していたんだ。

 −高校時代、最も印象深い試合は。

 一九六七(昭和四十二)年七月の北陸予選決勝。満塁で打席が回ってきた。緊張して打席に入る直前、バットを持った右肘が自分の腹に軽く当たった。その瞬間、肩の力がすっと抜けて、住職の顔が浮かんだ。すると悟ったんだ。「カーブが来る」ってね。その通りカーブが来た。打ち返すと逆転満塁本塁打。打った瞬間、自分がやったことなのかな、とぼんやり思っていた。

 −住職の教えで、その後も役に立ったことは。

 「目」だね。三年夏の大会が近づいてきた時、住職が「にらめっこしよう」と言い出した。いつもは柔和な和尚の目がどんどん光りながら怖くなって思わず目を背けてしまった。すると和尚は「私の目は、相手の目を写す鏡だ。お前の目は雑念ばかり入っている。腹に力を入れて集中すれば、この目を得られるはずだ」と教えてくれた。

 プロ入り三年目で全然打てなくなり、再び寺で教えを受けた。それから大事な場面で代打が回ってくるとベンチ裏の鏡で自分とにらめっこ。住職に教えてもらった目にしてから投手と相対した。

−甲子園を目指す福井の球児にメッセージを。

 僕らは甲子園に出るのが目標だった。しかし、二〇一五年春の甲子園で敦賀気比が優勝したことから分かるように、福井の高校野球のレベルは全国と互角になった。甲子園で勝利することを目標に、自然体で自分を信じて頑張ってほしい。

 (聞き手・籔下千晶)

 <かわとう・こうぞう> 若狭の投手として活躍していた1967(昭和42)年春の甲子園で右肩を故障して外野手に転向。同年夏も甲子園に出場した。阪神では19年間で通算打率2割3分6厘。「代打の切り札」として親しまれ、引退後はテレビの野球解説者も務める。現在は阪神OB会長。兵庫県西宮市在住の68歳。

 

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