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昭和天皇の日記存在か 侍従日記に定説覆す記述

 昭和天皇の侍従だった故小林忍氏(一九二三〜二〇〇六年)の「小林忍侍従日記」で、昭和天皇が「日記らしきものをおつけになっておられた」との記載があり、天皇自身が生前に日記を付けていた可能性が浮上した。

 記載があるのは一九七六年の元日。皇居・吹上御所で新年早朝の祭祀(さいし)を昭和天皇に代わり側近が済ませたことを、小林氏が居間で待機していた昭和天皇に報告しに行ったところ「お上(かみ)はお机に向い日記らしきものをおつけになっておられた」とつづっている。

 昭和天皇の記録としては、戦後すぐに回想を側近が聞き取った「昭和天皇独白録」や「拝聴録」、昭和天皇が亡くなった後、宮内庁が二十四年余りをかけて編集した「昭和天皇実録」などがあるが、自ら筆を執った日記類の存在は確認されず、存在しないというのが定説だった。

 ただ、思わせぶりな記述は、これまでの史料にもあった。「卜部亮吾侍従日記」には、香淳皇后が亡くなった後の二〇〇〇年六月二十四日「女官長に例の『お日記』お忘れものとして副葬品にお入れいただくようお預けする」と書かれている。昭和天皇の日記が形見として“埋葬”されてしまったとも解釈できる内容だ。

 一方、「拝聴録」は入江相政(すけまさ)侍従長が昭和天皇から聞き取った記録で、見つかったり、不明になったりを繰り返した。

 卜部日記の八八年五月二十三日の記述には、入江氏の後任の徳川義寛侍従長と「(皇居・宮殿の)表御服所に赴き、入江侍従長の『拝聴録』を探索す。断念しかけたが最後にキャビネット最下段から発見。内容確認しリストを作り元の場所に収納」とある。

 その後また行方が分からなくなったが、卜部日記によると、二〇〇一年二月七日に再発見された。現在は再び不明となっている。

 

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