トップ > 一面 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

一面

<象徴天皇と平成>(4) 車いすアスリート・土田和歌子さん

土田和歌子さん

写真

長野パラリンピックの会場で観客のウエーブに参加される皇后さまと笑顔の天皇陛下=1998年3月11日、長野市のエムウエーブで

写真

 レースを前に高まる緊張感。自分を捜すスタッフの声でわれに返った。「土田さんはいますか。両陛下がお会いしたがっています」

 一九九九年九月、東京都江戸川区で行われたジャパンパラリンピック陸上競技大会でのこと。大会は天皇陛下の即位十年記念と銘打ち、陛下と皇后さまが会場を訪問されていた。

 土田和歌子さん(43)は前年の長野冬季パラリンピックのアイススレッジ(そり)スピードレースに出場し、金と銀のメダルを二個ずつ獲得。春の園遊会に招かれ、陛下に「がんばりましたね」とねぎらわれた。だが両陛下が自分のことを覚えているとは思えなかった。

 「なんで?」「本当なのかしら?」。驚きながら、半信半疑で両陛下の元へ向かった。このときから、両陛下がいつも自分たち障害者アスリートのことを気にかけ、応援してくれていると感じるようになった。

 土田さんは高校二年の九二年、交通事故で車いす生活になった。だがリハビリでスポーツと出合い、世界は一変した。長野大会の後に陸上に転向し、二〇〇四年のアテネ大会では車いす5000メートルで優勝した。日本人で初めて夏季、冬季ともに金メダルを獲得し、日本を代表する障害者アスリートとなった。

 それでも順風満帆ではなかった。〇八年夏の北京大会で接触事故に巻き込まれ転倒。胸椎と腰椎を折り、二カ月の入院を余儀なくされ、引退も頭をよぎった。そんな時、人づてに「皇后さまが非常に心配されていましたよ」と伝えられ、心の支えになった。

 陛下は皇太子時代の一九六四年に東京パラリンピックの名誉総裁を務めた。翌年には陛下の発案で障害者スポーツの全国大会が始まり、現在も続く。九八年の長野パラリンピックでは、観客席で起きた人波のウエーブに皇后さまが参加し、ほほ笑む陛下の姿とともに放映され、感動を呼んだ。

 この半世紀で障害者スポーツは、リハビリ目的から競技スポーツへ大きく性格を変えた。三年後に東京大会を控え、企業の間に試合や練習に専念できる「アスリート雇用」も広がりつつある。国民の障害者に対する意識は変わり、公共施設や道路、交通機関の不便も解消されてきた。

 土田さんは振り返る。「以前は障害者がアクティブに活動できる社会環境ではなかったが、長野大会のころから、一年一年積み重ねるようにバリアフリーが浸透してきた」

 障害者と家族に寄り添ってきた陛下と皇后さま。日本身体障害者福祉大会(二〇〇〇年六月)での陛下の言葉に思いが集約されている。「障害のある人々が幸せな生活を送ることができる真に豊かな社会が築かれていくことを心から願う」−。

 「両陛下の気持ちを励みに結果を残すことができた」。土田さんは両陛下から先駆けとしてのミッションを授けられ、突き動かされてきたかのように感じるという。

 (荘加卓嗣)

 

この記事を印刷する

中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井 読者の方は中日新聞プラスで豊富な記事を読めます。

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索