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病魔が阻んだノーベル賞 早世の岡崎さんDNA研究、受賞級の業績

故・戸塚洋二さん

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夫婦で研究に励んでいた当時の故・岡崎令治さんと妻恒子さん=1958年、名古屋大で(恒子さん提供)

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◆素粒子研究戸塚さんも

 ノーベル賞の発表が来週、始まる。受賞に値する業績を挙げながら早世した元名古屋大教授岡崎令治さんの妻、恒子さん(84)=名大特別教授=は、今年も天国の夫とともに、日本人が受賞するかどうか見守るつもりだ。「研究しか頭にない人だった。日本の研究レベル向上をきっと喜んでいるでしょう」

 一九六八年、米ニューヨーク州であった学会。分子生物学が専門の令治さんが論文を発表すると、会場が驚きの声に包まれた。

 DNAの短い断片が複雑に結合して、複製される仕組みを明らかにする内容。論文はやがて高い評価が確立し、DNAの断片は「岡崎フラグメント」と名付けられ、今では高校の生物の教科書に載っている。

 その五年後、研究を続ける令治さんを病魔が襲った。十五歳のころに広島市で被爆した影響からか、慢性骨髄性白血病だった。七五年、四十四歳で亡くなった。

 令治さんは名大卒業後、恒子さんと出会って結婚。夫妻そろって米国へ留学し、名大に戻ってDNA複製の研究に、共に取り組んだ。

 「実験は非常に細かく、きっちりとしていた。夜もしょっちゅう研究室に足を運んでいた」と恒子さん。そんな研究の虫が、発病後は旅行やコンサート通いなど、家族との時間を楽しんだ。「目いっぱい、仕事をやった。生きている間にできることをやり尽くしたと思う」

 近年、日本人のノーベル賞受賞が相次ぐ。恒子さんは「私たちの時代と比べ、国内の研究環境はとてもよくなり、世界で高く評価されるようになった」と喜ぶ。

 令治さんのような例は他にもある。素粒子ニュートリノに質量があることを発見し、二〇一五年にノーベル物理学賞を受賞した東京大宇宙線研究所長の梶田隆章さん(58)は、記者会見で一人の研究者の名を挙げた。岐阜県飛騨市の観測施設「スーパーカミオカンデ」で一緒に研究した戸塚洋二さんで、〇八年に六十六歳で、がんで亡くなった。梶田さんは「(発見は)戸塚先生のお力が大きかった。もっと長く生きて一緒に受賞したかった」と語っている。

 岡崎さん夫妻の弟子に当たる篠崎一雄・理化学研究所環境資源科学研究センター長(68)は「日本人の相次ぐ受賞は、日本の独創的な研究が世界で評価されているから。岡崎先生のように、ノーベル賞級の研究をしながら受賞していない科学者もいることを知ってほしい」と話す。

 (坪井千隼)

 

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