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<「命のビザ」の問い掛け>(5) 善意のたすき、世代超え

村井衡平さん(学生服姿の少年)と父禄楼さん(右)が、ユダヤ人夫婦と一緒に撮った写真=神戸市内で

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 神戸学院大名誉教授の村井衡平(91)が、神戸市の自宅で古びたアルバムを取り出した。七十六年前に撮影されたという一枚の写真に、学生服姿の村井と父の故・禄楼(ろくろう)に挟まれて外国人の男女が写る。「杉原千畝(ちうね)さんに助けられたユダヤ人夫婦です」。男女の顔に迫害からの逃避行を感じさせない笑みが浮かんでいる。

村井衡平さん

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 杉原がリトアニアで発給した「命のビザ」で難を逃れたユダヤ人たちは、シベリア鉄道で大陸を横断し、福井県の敦賀港に上陸した後、神戸にたどり着いた。当時、弁護士事務所を開いていた禄楼は、英語の看板を見て訪れた弁護士を名乗るユダヤ人とその妻に、近くの書庫を住まいとして一カ月ほど提供した。村井は「布団を運ぶなどの手伝いをして、お礼に外国の切手をもらった」と懐かしむ。

 こうしたユダヤ人難民四千人以上が一九四〇年から翌年にかけ、神戸市で過ごしたとされる。ただ、資料は空襲で焼け、当時を知る人も激減している。そのため、市は昨年、証言や記録の収集に乗り出した。村井の証言は寄せられた五十四件の情報の一つで、写真の夫婦の名は杉原のビザのリストで確認された。「杉原さんの思いがたすきをつなぐように神戸の人たちに受け継がれた。そうした事実を残すことができて良かった」と村井は言う。

 福井県敦賀市にも、歴史を伝えようとしている人たちがいる。「パリッとしたオーバー姿もあれば、ズボンの裾が破れた人もいた」。四〇年秋、十三歳だった山本孝太郎(90)は、敦賀港から駅に向かって歩く外国人の集団を見掛けている。

 難民の大半はすぐに神戸や横浜へ移り、敦賀での足跡はほとんど記録がない。「歴史の空白を埋めよう」と、山本らの郷土史研究グループが二〇〇六年から、市民に聞き取り調査を始めた。少年がリンゴを差し入れた、銭湯が浴場を無料で開放した−。そんな証言が一年間で四十件ほど集まった。難民が換金したスイス製腕時計も見つかった。

 市内には〇八年、成果を紹介する資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」が開館した。初代館長の古江孝治(66)は「杉原ビザがユダヤ人と住民の交流を生んだ。敦賀でのドラマを世界に知ってほしい」と言う。

 杉原の孫で、功績を語り継ぐNPO法人の副理事長、杉原まどか(51)は「祖父の行為が命をつなぎ、感謝の気持ちが世代を超えてつながっている」と語る。杉原没後に生まれたまどかの長女、織葉(22)も命のビザで生き延びた数人と面会してきた。大学卒業後は映像関係の仕事に就きたいと考えている。「曽祖父を知る人を巡り、記憶を記録していきたい。それが使命と思います」。次の世代から新たな杉原たちが生まれることを願っている。

 =文中敬称略、終わり

 (この連載は、平井一敏、小倉貞俊、奥田哲平、近藤統義が担当しました)

杉原千畝の肖像の前で話す、孫の杉原まどかさん(右)と、その長女の織葉さん=東京都港区赤坂で

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