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<「命のビザ」の問い掛け>(2) 今重み増す「救命の証し」

杉原への感謝の思いを語るスモーラーさん=岐阜県八百津町で

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シルビア・スモーラーさんが岐阜県八百津町に寄贈したビザの原本=同町提供

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 ユダヤ系の米国人シルビア・スモーラー(85)にとって、杉原千畝(ちうね)は「生き残るための唯一の希望」だった。八月、杉原にゆかりが深い岐阜県八百津町を訪ね、町民たちに語り掛けた。

 「杉原がビザを発給した短い時期に偶然、カウナスにいました。もう少し遅くても、杉原が少し早く去っても、命を落としていたでしょう」。杉原がリトアニアのカウナスで発給した二千百三十九通のビザの四百五十九番目。スモーラー一家はそれで生き延びた。

 ポーランドのワルシャワで生まれた。一九三九年九月にナチス・ドイツの侵攻が始まると、両親と東へ逃げた。当時七歳。ドイツの空爆で炎が上がる中、役人だった父が警察署から車を調達し国外に出る。貨物列車や荷馬車を乗り継ぎ、リトアニアにたどり着いた。

 そこからは、ビザがなければ別の国に行けない。米国などはユダヤ人難民の受け入れを渋っていた。杉原が領事代理を務めるカウナスの日本領事館前には、死に物狂いの顔つきのユダヤ人たちが続々集まった。

 四〇年七月下旬、杉原は日本政府の意向に背き、難民たちへの日本通過ビザの発給を始める。発給は、杉原がカウナスを去る八月下旬までわずか一カ月間ほどだった。「逃げられなかったら、確実に死に直面するのを知っていたからでしょう。彼の良心が、助けるべきだと指示したのです」とスモーラーは思う。

 スモーラーの祖父母は強制収容所で殺され、いとこや親類もアウシュビッツ収容所で犠牲になっている。スモーラー一家はビザを使ってソ連のモスクワに行き、シベリア鉄道に十一日間乗ってウラジオストクに到着した。船で福井県の敦賀港に渡り、神戸港から米国に渡った。

 「杉原の行動が、私がここにいることを可能にし、生まれていなかった息子や孫の命も救いました。ビザで生き残った人々の子孫に掛け合わせてみてください。どれほどの学者や芸術家、音楽家、医者らの命を救ったか分かるでしょう」

 スモーラー一家を救ったビザは九三年に寄贈され八百津町にある。杉原千畝記念館(同町)の館長国枝大索(58)は「このビザがあったからこそ、『世界の記憶』への登録申請に踏み出せた」と感謝する。

 スモーラーは今、トランプ米大統領の登場とともに排外主義が自国で強くなっているのを憂う。「杉原の記録が『世界の記憶』に登録されることで、世界の国々のリーダーが改めて、難民について考える機会になってほしい」。ビザに新たなメッセージを見ている。 =文中敬称略

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 <世界の記憶> 国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界的に重要な記録物への認識を高め、保存などを促進する目的で1992年に登録事業を始めた。次の選考は今秋。日本のユネスコ国内委員会は、ユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の資料と群馬県の「上野三碑(こうずけさんぴ)」を候補に選定。ほかに、日韓の民間団体が江戸時代の朝鮮通信使の資料を、日中韓などの市民団体が旧日本軍の慰安婦問題に関する資料を登録申請している。日本政府は2016年に「世界記憶遺産」の日本語表記を「世界の記憶」に変更した。

 

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