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共創 アジアへ

第4部 続・トヨタ 道を知る(2)

タイに赴任中、僧侶(左)と写真に納まる東郷行泰・美作子さん夫婦=宮原由美さん提供

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 「大理石寺院」と呼ばれる白壁の美しさを南国の日差しが引き立てていた。タイ近代化の礎を築いたラマ五世も眠るバンコクの寺院「ワット・ベーンチャマボピット」で、僧侶たちが日本人の髪と眉を丁寧にそり落としていく。

 一九七五年ごろ、タイトヨタ副社長だった東郷行泰は、ワイシャツを脱ぎ、木綿のけさをまとって剃髪(ていはつ)の儀式に臨んだ。間近で見守った長女の宮原由美(65)は、思わず涙がこぼれた。「パパ、本当に大丈夫かしら」。短大を卒業後、バンコクで父と母の美作子(故人)と暮らしていた。

 日系企業の看板が林立するバンコクでは、「日本の経済的支配」との理由で反日機運が高まっていた。七四年には当時の首相、田中角栄の訪問に合わせ、学生ら二万人がデモを繰り広げ、その一部が暴徒化した。

 日本からの駐在員による異例の修行は、東郷が王室との茶会で「タイの仏教に興味がある」と発したことで実現し、現地メディアも取り上げた。

 寺では毎朝四時半に起き、托鉢(たくはつ)に出る。慣れない素足に、皮がめくれ、痛みをこらえて歩く。住民は「口に合うだろう」と、トーストをそっと鉢に入れてくれた。どうしても外せない会社の会議には、けさ姿のまま顔を出した。二週間近く修行僧らと寝食を共にした。

 「日本のビジネスマンはもうけることしか頭になく、その国の文化を知ろうともしないと非難された」。七一年の赴任後に苦い経験があったと、一線を退いてつづった自著にある。

 職場では始業前には出社し、従業員にタイ語を習った。販売店や工場をまめに回ってタイ語で対話を重ねながら、日本流も持ち込んだ。時間にルーズな文化を変えるため、朝八時に全員参加の朝礼を開いた。

 東郷は七六年からのカナダ転勤を経て、八三年に米国トヨタ自動車販売の社長に就く。自動車大国の米国で味わったのは、タイとよく似た空気だった。貿易摩擦が「日本車たたき」にまで高じ、日本の自動車メーカーは対米輸出の自主規制に踏み切っていた。

 だが、東郷はバンコクで仏門に入ったように、相手に飛び込むスタイルを崩さなかった。販売店に足しげく通い、警備員や清掃員にも気さくに声を掛けた。米国での本格的な現地化の第一歩となったケンタッキー工場の建設で幅広い人脈を生かし、キャデラックやベンツに対抗する高級車ブランド「レクサス」の販売網の立ち上げも指揮した。

 トヨタ自動車の常務も務めた東郷は二〇〇〇年、七十五歳で死去する。日本で開いたお別れの会には、赴任した三カ国の販売店関係者や元同僚らが焼香に訪れた。

 由美の夫で横浜トヨペット会長の宮原郁生(71)は、カナダに店舗進出して間もない時期、現地で東郷に助言を求めたことがある。「相手のことを理解して、地元に密着しないと、ビジネスはできないよ」。タイでの僧侶体験を交えながら諭された。

 体を張って知り得たメッセージは、保護主義が台頭し、貿易摩擦が深刻化する今も通じる。

 (文中敬称略)

 

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