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共創 アジアへ

第3部 海峡を越えて(3) 中部電力(下)

燃料となるもみ殻の状態を確認する発電所のスタッフたち=タイ北部ピチット県で、山上隆之撮影

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 道端のバナナの葉が影絵のごとく揺れだした。雨粒と横なぐりの風。天候の崩れは「電力危機」の知らせだった。

 「またか」

 裸電球が前触れなく消えても、屋台で飲む男たちの談笑は途切れない。誰もが停電に慣れ切っているのを見て、店の奥にいた電力マンは心に期した。「停電のない村にしなければ」

 田園風景が広がるタイ北部のピチット県に二〇〇五年一月、中部電力碧南火力発電所から花井光浩(51)がやってきた。コメのもみ殻を燃やし、農村に明かりをともす使命を引っ提げて。この地は三期作でもみ殻は余るほどある。

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 中電で初めての海外発電事業ながら、建設は遅れていた。欧州の技術者たちは独断専行タイプで、タイ人作業員の動きは鈍い。花井ら中電社員に向ける視線だけは共通していた。「発電所オーナーだからといって、でかい顔するな」と。

 もみ殻発電は外資ファンドなどとの共同事業で、中電が最大の出資者だった。日本ではインフラの雄でも海外は勝手が違った。付き合いの深いゼネコンも、電機メーカーもいない。花井らはなすこともなく建設現場と宿舎を行き来し、夜は虫に刺されてもだえた。

 船頭のいない現場は試運転に入ると行き詰まった。配管に穴が開き、ボイラーの火は消える。「碧南火力の経験が生きる」。花井はついに動いた。

 問題だったのはもみ殻の硬さ。ボイラーに送る途中の配管を傷つけ、穴を開ける。配管のカーブを調整すれば一カ所だけ摩耗するのは防げる。もみ殻も、碧南で燃料となる石炭も、粉末にして扱う点は共通する。花井は設計変更を助言した。「中電は頼りになる。仲間だ」。タイ人作業員から信頼を勝ち取った年の暮れ、出力二万キロワットの小さな発電所は運転を始めた。

もみ殻を粉状にして燃焼し、その熱で水蒸気を発生させて発電タービンを動かす発電所=タイ北部ピチット県で、山上隆之撮影

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 運営のノウハウ継承も課題だった。発電やもみ殻の調達で不具合がなぜ、どのように起きたのか、花井は記録を残すよう求めた。もみ殻や燃焼後の灰が外に飛び散って、住民とトラブルにならないよう口酸っぱく言った。「地域と永く歩む発電所であってほしい」。タイを離れた今も願う。

 発電所は百人の雇用を生んだ。昼夜二交代で二十四時間運転し、首都バンコクから三百二十キロ離れた地の基幹電源として一万五千世帯分の電力量を賄う。チーフエンジニアのパイラット(48)は「タイで最高のプラントと思っている。花井からは多くのオペレーションを教わった」と胸を張る。

 住民との関係は良好で、地元首長のタッサニー(48)は「発電所ができて停電がなくなった」と喜ぶ。農家のニミット(53)も「捨てていたもみ殻を買ってもらえてありがたい」と話す。

 中電会長の水野明久(65)は建設当時、国際事業部長として関わったもみ殻発電を「試行錯誤の末の勝利」と評する。日本の電力需要はまだ伸びていたが、「経済発展の著しい途上国にビジネスチャンスを求めるべきだ」と訴えていた。

 社長在任時の一四年には、東京電力と海外発電や燃料事業の統合を決め、規模を拡大させた。海外発電プロジェクトは北米や中東にまで広がり、今や二十を超す。「日本で培ってきた技術力、ノウハウを海外で生かさない手はない」。水野の目は中部の外へと向かう。

 (敬称略)

 <中部電力のタイ発電事業> 海外展開の先駆けとして2000年代に親日国のタイに進出した。もみ殻発電とは別に、ラチャブリ県のガス火力発電(出力140万キロワット、08年運転開始)は稼働率も高く、バンコクの電力事情改善に寄与。中電はガス火力を得意とし、技術輸出としては最も成功した例とされる。

 

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