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共創 アジアへ

第3部 海峡を越えて(2) 中部電力(上)

LNGなどの燃料調達を同僚と話し合う佐藤裕紀さん(中)=東京都中央区のJERA本社で

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 招かれざる客だと自覚していた。冷や汗が首を伝った。「気温のせいじゃない。オレ自身が熱くなっている」。まだ三十七歳だった中部電力燃料部の佐藤裕紀は日の丸柄の扇子を取り出すと、自らを鼓舞するように顔をあおいだ。

 二〇〇〇年六月、佐藤はインドネシアの首都ジャカルタにいた。「貴社から買ったLNG(液化天然ガス)を台湾と中電で交換することを認めてほしい」。朝方、インドネシア国営資源会社プルタミナの副総裁室に乗り込んで切り出す。

 「荷揚げ港の変更はできない。契約の通りだ」。副総裁はのっけからノーを言い渡すが、佐藤はひるまない。副総裁の秘書が退出を促すのも無視し、覚悟を告げた。「首を縦に振ってくれるまで帰らない」。立てこもりが半日を過ぎ、副総裁はついに折れた。

 その夏、プルタミナから台湾に届くはずだった二十四万トンのLNGは中電が引き取り、中電は時期を改めて同量を台湾側に返す契約変更がまとまった。

 「世界で初めてLNGの荷揚げ港制限が解かれた」

 中日新聞が中電と台湾のLNG交換取引が成立したと特報し、海外の通信社も、国際的な商慣行に風穴をあけた衝撃を打電した。

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 中電が火力発電の燃料などに調達するLNGは年間最大一兆円に迫る。産出国とは十〜二十年の長期契約を結ぶ場合が多く、毎年一定量を契約通りに引き取らねばならない。得意客であっても荷揚げ港の変更や他社への転売はタブーで、消費できなければ余剰在庫となって経営を圧迫する。

 「交換取引ができればLNG調達が弾力化する。東アジア全体で電力やガスの料金が抑えられる」。佐藤はかねて東アジア各国がLNGを融通し合う未来を思い描いていた。

 LNGが量的に必要な時期は国によって異なり、日本は冷房利用が増える夏がピークだが、韓国は暖房で冬に利用が増える。互いに過不足を補うことでLNGの使い勝手が良くなれば、石油からの燃料転換が進み、産出国にも損はない。

 しかも当時の台湾では建設中のガスパイプラインの完成が遅れ、LNGをプルタミナから引き取れない状況にあった。その苦境を業界紙で知った佐藤は、すぐさま「掟(おきて)破り」の交換取引に動く。提案に乗ったのは、後に社名が台湾中油となる中国石油有限公司で、担当の女性社員はプルタミナと組むフランス企業に押しかけて交渉した。

 日本では電力小売り自由化が工場など大口向けに始まったころ。大手電力はLNGの需要を読みづらくなり、柔軟なさばき口と調達先を求めていた。佐藤の上司だった杉山重昂(しげたか)(75)は「交換取引は自由化対応の布石で、視野の広さと先見の明があった」と語る。

 その後、荷揚げ港の縛りは弱まり、短期やスポット(一回ごと)の取引が増えた。米国のシェールガス革命でLNGが世界でだぶついたことも一因で、原子力への依存度が低い中電に追い風となった。一一年の東京電力の福島第一原発事故後、中電は赤字に転落したものの、燃料調達の多様化と火力の高性能化で業績を回復する。

 中電の燃料部は一六年、東京電力と設立したJERA(ジェラ)に移され、佐藤は執行役員となった。調達の柔軟性を高めようと、今も産出国と対話する日々。若手社員にこう言っている。「交渉は、相手にノーと言われたところから始まるんだ」

 (文中敬称略)

 <液化天然ガス(LNG)> 輸送用に零下162度まで冷やして液化した天然ガス。主な産出国はカタールやロシア、豪州、米国など。1970年代から石炭や石油に代わる一次エネルギーとなり、世界の流通量のうち日本が3分の1を占める。JERAは世界最大規模の年間3500万トンを取り扱い、2018年中にフランス電力のLNG取引部門も傘下に収める。

 

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