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共創 アジアへ

第2部 ノリタケ 興せ産業(6)

スリランカで製造している白さが特徴の洋食器「シェールブラン」=名古屋市西区のノリタケスクエア名古屋で

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 名古屋市内のノリタケ直営店に並ぶ白磁の中で、ひときわ白さを感じさせた。ノリタケカンパニーリミテドのスリランカ子会社「ノリタケランカポーセレン」が製造する洋食器「シェールブラン」だ。フランス語で「親愛なる白へ」を意味する食器は、使い手の愛着が増すよう考え抜かれている。白さだけでなく普段使いの軽さにもこだわりがある。

 白くて、軽い白磁の器はこれまで世の中に存在しなかった。業界の常識では、原料や焼く温度などがかかわり、白磁はそれなりに厚みがあり、重くなる。あえて非常識に挑んだのはノリタケの将来がかかっていたためだった。

 戦前からノリタケは高級食器の世界ブランドとして名高いが、時代とともに転換の波が押し寄せていた。生活習慣や家族構成の変化、景気の変動を受け、食器事業は業績を落としていった。国内製造中心では採算が合わず、二〇〇八年、大半の生産をスリランカに集約すると決めた。

 国内で製造していた多種多様な食器の生産を移すことは「大量生産よりも、さらに高い技術力が必要」と、会長の小倉忠(67)は難しさを挙げる。スリランカが世界品質の主力工場になりえるかの試金石が、全く新しい食器づくりだった。

 開発は〇八年から本格化した。日本人技術者たちが原料の調合を一から練り、現地の窯で何度も試作した。かつてない白さの生地は、少しの鉄粉が混じっただけで焼いた跡が黒点としてくっきり現れ、仕上がりを台無しにした。かつてない軽さを実現しようと成形から生地を薄くすれば、移動させただけで派手にいくつも割れた。

 「ただ、この難しいレベルを克服できる工場でありたかった」。男性社員のジーピーケー・テンナコン(53)はよどみない日本語で当時の思いを語る。

 スリランカの人々は勤勉で集中力が高い。すでに技術は確かだったが、白さと軽さの両立は職人泣かせだった。日本人技術者と作業から検査までの手順をくまなく見直した。

 鉄粉のような空気中の不純物が混ざらなくするため、成形した生地にカバーをかけて搬送する。生地の置き方にも細心の注意を払う。試作を繰り返すこと四年、ようやく一二年に初出荷できた。技術者の後藤康博(49)は「主力工場として十分な技術力を示せた」と、現地の職人と力を合わせてきた成果に胸を張る。

 不可能を可能にした自信を糧に、ランカポーセレンは新たな境地に立っている。小倉も「市場で何が求められているかを製造と営業の両サイドで議論し、進めるようになってきた」と手応えを示す。シェールブランに続くカジュアルな洋食器を開発するとともに、インドなどの新興国向けに特別なディナーセットをつくっていく。

 「本当の意味でスリランカはノリタケの工場になってきた。だからこそ、食器事業は再生できる余地がある」。今は食器事業の赤字が続いているが、小倉に不安はない。

 (敬称略)

 =第二部終わり

 (曽布川剛、酒井博章、後藤隆行が担当しました)

 <ノリタケランカポーセレン> ノリタケカンパニーリミテドのスリランカ法人で1972年設立。「ランカ」はスリランカ公用語のシンハラ語で「島」を意味し、古くから国土の島そのものを示すとされる。「ポーセレン」は英語で磁器の意味。当初は現地の陶磁器公団と合弁だったが、今はノリタケが100%出資している。従業員は約1250人。

 

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