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共創 アジアへ

第2部 リンナイ 興せ産業(2)

リンナイコリアが寄贈したソウル五輪の聖火台=リンナイ提供

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 聖火ランナーの腕が高々と韓国・ソウルの空にかかげられた。「よし、今だ」。社員が聖火台の下でモニターを見ながらランナーの動きに目を凝らし、タイミング良くスイッチを押すと、炎が真っ赤に燃え上がった。

 一九八八年のソウル五輪で、リンナイの合弁会社「リンナイコリア」は、技術力を訴える絶好の機会として聖火台を造って寄贈した。赤い炎がともった瞬間、仁川(インチョン)の本社ではテレビ中継を心配して見守る社員から歓声が上がった。

 ガスコンロでガスを完全燃焼させると炎は青い。だが、聖火台の炎は赤くないと見栄えが悪い。そのためにガスを不完全燃焼させる必要があり、製品で追求する技術とは真逆の新たな挑戦だった。リンナイコリアは、ガスの燃焼を知り尽くした精鋭五人の特命チームを結成し、大きく赤い炎を大会中の十六日間、安定して燃やし続けた。

 国の近代化を世界にアピールする五輪の舞台で失敗は許されない。聖火台プロジェクトに手を挙げるメーカーはほかになかった。リンナイコリアの技術と品質はそれほど抜きんでていた。

 「消費者は私たちの恩人だ」。現社長の姜栄(カンヨン)チョル(63)は入社した八三年、従業員の左胸にあったワッペンの文字を鮮明に覚えている。日本のリンナイ前会長の内藤明人がしたためた原点思想「品質こそ我(われ)らが命」も工場や事務所に掲げられていた。姜は「韓国では会社のことがすべてという考え方が当たり前だったので感銘を受けた」と語る。

 七四年の設立時に集められたのは、当時の韓国で主流だった石油コンロを生産していた技術者たちだった。現地で開発と生産を担わせるため、日本からは技術職の駐在員だけでなく、プレス板金や金型鋳造などの担当者が頻繁に指導に訪れた。

 内藤も二〇一七年三月に亡くなるまで、たびたび海を渡った。「品質が完璧でなければ事故につながるから、消費者に使わせてはならない。不良品はゼロでなければならない」。朝礼で安全第一を説いてきた。

量産が続くガスコンロの組み立てライン=韓国・仁川で(曽布川剛撮影)

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 姜が開発・生産本部長だった時、内藤は工場を見て「なんで在庫がこんなに多いんだ」と叱り、生産ラインの改善を手ほどきした。

 姜は「会長は雲の上の存在で、顔も上げられなかった」と振り返る直接指導を経営に生かす。〇七年に在庫管理システムを導入した時は、部品会社や販売代理店の反発もあったが、売れる分だけ生産するよう徹底した。三年ほどかけて定着させ、在庫を半減するとともに売り上げ増につなげた。月に一度ある「品質の日」には、役員全員が生産現場の改善提案やコールセンターに寄せられる顧客の声に耳を傾けている。

 今、ガスコンロの組み立てラインは整然とし、従業員が手元に置いた部品を素早く組み付けていく。ねじ一つの締め間違いや目に見えないほどの傷も見逃さない。「品質は心。皆が同じ心で作業に当たらないと事故につながる」。姜がたたき込まれた品質へのこだわりが、消費者の信頼をさらに高めた。

 (敬称略)

 

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