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丸栄 思い出ありがとう

焼け跡の記憶(4) 丸栄周辺 栄えた歴史 万感胸に

丸栄一帯=国立国会図書館デジタルコレクションから

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 栄の広小路通で戦中から続く百貨店「丸栄」。終戦直後の姿をカメラが捉えたのは通り北側にあった七階建ての旧社屋だ。空襲で焼けたため、ビル全体を覆って修復作業が進められている。

 丸栄の誕生は、戦局が激化していた一九四三(昭和十八)年。通り北側の老舗「十一屋」と、南側の新興「三星」の両百貨店が合併してできた。「栄町」で「丸く栄える」という意味を込めた。

 焼け野原となった街。二つの社屋とも被災した丸栄の戦後はゼロからの再出発だった。すぐに旧十一屋ビルの補修に着手、五二年には現在の本館の一部になる旧三星ビルの増築に踏み切った。

 その翌年に入社し、旧三星ビル二階の紳士服売り場に配属された立木一成さん(87)=北区。当時、ビルは一〜二階が吹き抜けの構造。「赤い大理石の柱が貫き、そりゃ立派だった」と懐かしむ。この年、八階建ての新ビルが完成。全館開館後、八階で催したセールでは紳士服も売れに売れた。二階から服を担いで、階段を何遍も往復した。「希望があった時代だった」

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 もはや戦後ではない−。経済白書がこう書くのはこのわずか三年後のことだ。

 だが、バブル経済の崩壊を経て、消費動向は様変わり。近年、丸栄は苦境が続いた。そして今月末、七十五年の歴史に幕を下ろす。立木さんはシャッターが閉じる最後の瞬間には立ち会わないつもりだ。「涙が出るといかんでね。丸栄が全てだったで」(渡辺泰之)

旧十一屋の敷地に立つ現在の栄町ビル=中区錦3で

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 この連載は、名古屋などに滞在した連合国軍総司令部(GHQ)スタッフ、故ロバート・モージャー氏が一九四六、四七年に撮影したカラー写真の場面を記者が探し、終戦直後の「記憶」をたどります。(随時掲載です)

 

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