トップ > 特集・連載 > 丸栄 思い出ありがとう > 記事

ここから本文

丸栄 思い出ありがとう

さらば丸栄 軌跡を追う (下)再開発

◆景観へ貢献、解体後も 外壁など保存求める声

モザイクタイルによる壁画が存在感を放つ丸栄のビル=名古屋・栄で

写真

 「売り場の活性化を図ることができず、業績を改善できなかった」。経営不振が極まった丸栄と親会社の興和は昨年十二月、閉店を正式発表した。丸栄社長の浜島吉充(65)は名古屋市内のホテルで開いた記者会見で、理由を淡々と語った。

 実際には既存テナントの退店申し込みが相次ぎ、事業を続けられなくなっていた。ビルの老朽化により市から耐震性の不備を指摘されたことも大きい。丸栄は再開発でビルを建て直し、新たな商業施設として再スタートする道を選んだ。

 会社は存続して外商部門を残すが、もはや百貨店の店舗形式は想定にない。興和社長の三輪芳弘(62)は再開発の理想像を「楽しむことができて、住むことができる東京・赤坂の複合施設『東京ミッドタウン』のようなイメージ」と描く。課題は多いものの、広小路通を挟んで北側に立つ栄町ビルなどとの一体開発も念頭にある。

 栄地区でいま活気があるのは、三越や松坂屋、海外の高級ブランドが路面店を構える大津通沿い。比較すると、丸栄が面している広小路通は、人の動きが少ない。

看板の上に設置され、保存が検討されているモニュメント=名古屋・栄で

写真

 「場所が場所だけに、丸栄の責任は大きい」。栄の街づくりに長年携わる地元商店街トップの坪井明治(72)は言う。大型の再開発に際し、栄の景観に長年貢献してきた役割を果たし続けてほしいと願う。

 丸栄のビルは戦後復興の中、前身の三星百貨店の建物に増築する形で造られ、一九五三年に完成した。設計は、文化勲章受章者の村野藤吾(故人)。西側外壁のモザイクタイルによる壁画、画家の東郷青児(同)が手がけたエレベーターの扉絵が個性を表す。

 閉店と解体が発表されると、日本建築学会が保存を求める要望書を提出したほど、建築や美術の分野で高い評価を受けている。耐震の安全性を確保できないため解体の方針は変わらないが、顧客からは「建物の一部でも残ってほしい」とメッセージが寄せられた。丸栄は、広小路通に面した外壁の看板の上にある鳥のような形をしたモニュメントなどの保存を検討中だ。

 今月九日、丸栄の屋上ビアガーデンに社員OBら三十人が集まり、閉店を前に別れを惜しんだ。間もなく百貨店としての使命を終えることに、かつて食品や外商を担当した男性(55)は「辞めて何年たっても懐かしい思いでいっぱい。なくなってしまうのは寂しい」と胸の内を明かした。

 人員削減で早期退職した人からは経営陣への不満も口をついて出た一方、愛着のある丸栄跡地が今後どうなるか、再開発への関心も高かった。経理担当だった女性(47)は再開発の成功を祈っている。「ここが自分の働いていた場所だと、子どもたちに胸を張れるような施設をつくってほしい」(敬称略)(この連載は竹田弘毅が担当しました)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索